ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

他人の人生相談

他人の人生相談を聞くのが好きだ。
決して冷やかしとか、面白半分などではない。
相談事にこそ人の本質が表れるし、相談員が何と答えるかも興味深い。
人生相談は一種の文化であり、真面目なエンターテイメントだとも思う。

母もよく「ラジオ人生相談」を聞いているようだ。
「きょうはこんな相談者が、こんな相談をして、相談員はこんな風に答えていた」と、要約して話してくれる。

 

先日、母と2人でラジオ人生相談を聞いていたら、年配の女性が相談をしていた。
声の感じはふてぶてしい感じ。
「私はどこへ行っても人にケンカをふっかけてしまい、職場を転々としている。イラつきがおさまらない」というような内容だった。

 

母と私は「ありゃ~。この人、職場のトラブルメーカーなんやな。確かにこんな人が職場におったら嫌だわ。嫌われそうな感じ。こんな女性にケンカふっかけられたら面倒だな」などと思いながら聞いていた。

 

が、男性心理カウンセラーの回答は驚くべきものだった。

「あなたは人にケンカをふっかけることで、自分を守っていたんですね。そうしなければ、あなた自身が『鬱』になっていましたね」と。

えっ?人にケンカをふっかけなければ、自分が鬱になる!?

母と私は驚いて耳を澄ます。

女性はようやく自分のことを理解してくれる人がいたと思い、嬉しかったのだろう。
涙声で「そうなんです、そうなんです」と言うではないか。話すトーンも急にしおらしくなっている。

 

嫉妬、イラつき、承認欲求・・・
そうした感情を己に向けて自分が鬱になるか。人に当たり散らすことで自分を保つか。
この女性は後者だったというわけだ。

結局この女性のイライラの根源は、自分を理解してくれる人がいなかったことなんだと思った。プロは思いもつかない角度から人を救うものだなぁ…と、唸らざるを得なかった。

新聞でも「えっ?これ本気で言っているの!?」と思うような相談を見ることがある。
私の中で印象的だった2つの相談を紹介しよう。

 

1つ目は「友人の子どもはみんな進学校に行き、有名大学に進学した。子どもをいい大学に入れて、自慢したかったのに全く逆の結果になってしまった。優秀な子の親が羨ましくて仕方ない。友人は事あるごとに子どもの学校の名前を口にするので、付き合いを絶った」というようなもの。

相談員は「子どもは親のアクセサリーではありません。自慢の道具でもありません。厳しいことを申し上げるようですが、入試の結果だけで我が子を恥ずかしいと嘆く親こそ、お子さんも恥ずかしく思っているのではないでしょうか」と答えていた。

もうひとつは、孫娘に買った服を嫁が着せないという相談だ。そもそも嫁が妊娠した時に「男の子じゃなくてがっかりした」と言ったため、嫁は「お義母さんにだけは洋服を買ってほしくない」と拒否しているようなのだ。


相談者は「嫁が生意気な態度をとり、孫を独り占めしようとするのが許せない。孫を置いたままで彼女を出て行かせようと思いますので、アドバイスお願いします」と息巻いている。

 

相談員は相談者の肩を持つどころか「嫁に孫を置いて出て行かせたいとは言語道断です。もしお孫さんと楽しく過ごしたいのなら『悪かった』と謝ることです。『男の子でなくてがっかりした』という言葉ほどお嫁さんを傷つける言葉はありません」と諭していた。

テレビでは美輪明宏さんの人生相談も拝見している。
美輪さんの神々しいお姿とお言葉にくぎ付けになる。

 

ある相談者が「いちばん欲しいものがいつも手に入りません。いちばん好きだった人とはおつきあいすることもできず、いちばんなりたかった職業には就けず、あまりにも得られないことが続き、これから先もどうせダメなんだろうと諦めてしまいそうになります」と言っている。

美輪さんは何とお答えになるんだろう・・・と気になった。

美輪さんがゆっくりと言葉を放つ。


「欲しいものが全部手に入ったらどうなると思います?虚脱状態になるんですよ」と。

「あれも欲しいこれも欲しいと夢を見ている間がいちばん幸せなんですよ」と。

 

―虚脱状態―

 

その言葉に圧倒された。
それ以来、私は物事が思い通りにいかないとき「虚脱状態」という言葉を頭で反芻することが増えていった。

 

願っていることが、するするっと叶ったらどんなにいいだろうと思うが、そうなると「虚脱状態」とやらになるらしいぞ、と自分を納得させるために。

 

美しい女優、人気の俳優が自殺したとき、なぜ、なぜ、なぜ、と思った。悔しかった。
美しさ、お金、地位、実力、人気。はたから見れば、何一つ欠けていない人たち。
あなたたちは、私の欲しいものをすべて手に入れているではありませんか、と叫びたかった。地べたを這いつくばって生きる自分の人生と交換してくださいよ、と思ったのは私だけではないはずだ。

 

あの人たちは「虚脱状態」だったのだろうか―。

 

「悔しい」「ずるい」「なぜあの子が」「見る目がない」「うまみがない」「しゃらくさい」
ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。
口には出さないが、私が心の中で吐き出す言葉たち。虚脱感とは対極にある感情たち。
ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。

 

しかし、これらはある意味「生きる原動力」になっているのだろうか―。

答えが出ないまま、私はまた他人の人生相談に耳を傾ける。