ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

気の抜けた炭酸

気の抜けた炭酸が残念な味のように、
1月5日以降に届く年賀状なら「もういいかな」と思うように。

時期を逸したものは、同じ手間をかけていても、同じコストがかかっていても、そのありがたみはがくっと落ちてしまう。

ほどほどのクオリティーでもいい。「了解」だけの返信でもいい。
「早い」仕事の方が、よほど価値があると思うのは私だけだろうか。

最近、私のまわりの流れが滞っている。
待っているメールの返信が来ない。お礼メールのレスも来ない。色々なことが止まっている。
いよいよ「大量のメールにまぎれて、私が誤って捨ててしまったのかも・・・」と自分を疑い始める。そうしてメールBOXのごみ箱をチェックするという余計な仕事を増やしてみる。しかし、ないものはなかった。

 

思い出系のシェアも「当日」か「翌日」を逃したら、もう気の抜けた炭酸状態だ。

みんなでシェアしようと撮った写真がその日のうちにシェアされないなら、その人のカメラで撮りたくない。

結婚式や文化祭などのイベント動画が数カ月経っても届かないなら、せっかくの撮影や編集の手間をおもんぱかっても、感謝の気持ちは薄れていく。そんなに凝らなくてもいいから、気持ちの熱いうちにぱっとシェアしておくれよと思う。

結局、私の手元に届くころには、すでにそのことから関心が薄れている。

私が日々締め切りに追われる現場にいるから、せっかちというわけではない。
プライベートな情報や作業にこそ、賞味期限というものがある。

 

たとえば何かのイベントで出し物をして大いにウケて、その様子を誰かが撮ってくれていたとして。その日のうちに送ってくれれば、仲間内でわぁきゃあ言いながら見て大盛り上がりできるけど、それが数か月後に送られてきたら…。一体誰がどんな気持ちで見るというのか。

 

どんなにきれいに編集されていても、すてきなテロップやBGMがついていても、もうその事柄に対し、誰しも興味が失せているのだ。

そんな加工はエゴの押し売りだ。同じことをするなら、早い方がぜったいに喜ばれる。

 

私は一口目から刺激の強い、強炭酸が好きだ。