ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

ブログを休眠します 

日本大学芸術学部に在籍していたときから、私は自分の名前で勝負できる人間になりたいと思って生きてきました。

「生み出す作品すべてに責任を持とう」このブログもしかりです。

 

私はこれまで自分の心の機微を見つめながら、文章を書いてきました。

私小説やエッセイの醍醐味は、赤裸々であることだと思います。きれいにお化粧した文章には、やはり力がないのです。

 

SNS上にある「映え」や「マウントをとるための投稿」に嫌気がさす時代。私の文章の強みは自分の醜い部分、弱い部分、パーソナルな部分を晒すことにありました。

「中田絢子さんですよね?嘘のない文章に励まされています。わかる、わかる~って読み進めちゃうんです」と、まったく知らない人に声をかけられることもありました。新聞記者など書くことが本業の方にも「あの文章は中田さんにしか書けない。ファンです」などと言われ、嬉しさに震えることもありました。

 

私は作家にもなりたかったので、このブログも「全公開」で勝負していました。

偽名での投稿や、友達限定で公開する文章には何の魅力も感じなかった。

内容がかなりディープなため、身近な人ほど「読んでいるよ」と、私に言ってきません。しかし身近な人間や、社内の人間が読むだろうことも覚悟の上でした。

 

プライドと責任を持ってアップしていました。酒の肴にされてもいい。陰口をたたかれてもいい。「文章を発表すること」「顔と名前を出して勝負する」ということは、そういうことだと思っているからです。

 

日本国憲法が保障する表現の自由を胸に、「人を傷つけない」「業務で知り得た情報は漏らさない」ことを心に書いてきました。

私は長年放送局で働いてきましたが、ずっと自分の仕事内容や立ち位置に不満がありました。心が腐ることが多かった。富山にいたときだけ、その不満は和らぎました。そんな私にとって、このブログは「本当の自分を表現できる唯一の場所」でもあったのです。

 

しかし春の異動を機に、私はこのブログを休眠することにしました。

私は心から出世に興味がありません。通りすがりの芸術家的な立ち位置で、自分らしく好きにVTRが作れればいいくらいに思っていました。しかし会社が用意してくれたポジションは、望むと望まざるにかかわらず「王道」ど真ん中の責任ある立ち位置でした。

 

「もうブログで赤裸々に表現することには終止符を打って、本業の仕事の中で自己実現をしてみたらどうか。誰もやってこなかったことを、あなたにお願いしたい」「放送局でしかできないことをやって、花咲かせよう」との助言がありました。

 

「自分の心を書くことは生きること」と思っていたので、すぐに「はい」とは言えなかった。

でも今は意固地にならずに、吹いている風に乗った方が自分も楽になるような、新しい可能性が開けるような気がしたのです。

 

最近の記事に関しては、たくさんの方にご心配をおかけし、温かい言葉をかけていただきました。この痛みや苦しみが、今後の取材活動や番組作りへの糧となれば―。

人の心に訴えかけるような表現を、今度は本業のテレビの世界で模索していこうと思います。長年読んでいただきありがとうございました。感謝を込めて―。

2023年3月16日(木)8:30