別れの春
春の人事異動で金沢に戻ることになった。
4月1日付で報道情報センターに配属されるので、仕事内容はこれまでとそんなには変わらない。古巣に戻るという感じだ。
内示を受けてからというもの、富山を離れることが嫌で嫌で、悲しくて悲しくてどうにもならなくなっていた。富山に大切なものが出来過ぎていたのだと思う。
「また遊びに来ればいいよ」「となり同士の県だからいつでも会えるよ」という言葉は何の慰めにもならない。私は富山に根付いて、ここで日常生活を営み、ここで仕事に邁進したかったのだ。何ならここで定年を迎えたいとも思っていたくらい、ここでの生活を愛していた。
心の機微を分かち合える、私が困る前にそっと助け舟を出してくれる、そんな大切な人が、わずかだがいた。お互い信頼し合って本心をこぼし弱みを見せ合えた。
どこも同じだと思うが、社内の人間関係はきょうの味方があすの敵になるケースが少なくない。味方面して近づいてきて、情報を吸い上げるだけ吸い上げて、最終的には「刺してくる」人間がいないではない。嫌な思いを何度かした。
富山にいると会社の歯車というより、一人の人間として深い呼吸をしながら生きられた。好きな人とだけ会い、興味のあることを学び、人間関係の輪が広がった。私は富山での生活にたくさんの喜びを見出し、魂を込めて大切に大切にはぐくんできた。
だから内示があったときは、赤紙がきたような絶望感だった。
あんなに長くいさせてほしいと願っていたのにー。2年間の富山生活だった。
私は「別れ」と「環境の変化」にとても弱い。
何度経験しても「別離」に対する免疫がつかない。
息切れと動悸でお風呂に入ることが恐怖になり、髪を洗った後はドライヤーの風で息が止まりそうになる。日常生活がままならない。
人生であと何回こんなつらい思いをしなければならないんだろうと思うと、途方にくれた。
お母さんはいつまで生きているんだろう、彼はいつまでそばにいてくれるんだろう。
心の支えの占い師がいなくなったら私は何を指針に生きていったらいいんだろう・・・
今回の異動を発端に、まだ起こってもいない別離にまで思いを馳せ、自分が壊れていくのがわかった。
先月、富山市の図書カードを作り、山本文緒さんの「無人島のふたり」という本を予約していた。「余命120日を宣告されて、夫と暮らす日々のことを書き続けた134日間の日記。作者から読者へのラストメッセージとなる一冊です」と紹介されている。
とても人気の本のようで、約60人待ちの状態だったが予約した。
でも、今の私にはとても読めない。読むと心が崩壊すると思った。
それに私の番が巡ってきたときには、もう私は富山にはいない時期だろう。
私は引っ越し準備の一環として、富山市立図書館の予約本をキャンセルした。
2022年3月1日(水)