ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

結婚を意識した日

2023年3月5日(日)晴れ

 

それにしても、毎日死にそうだ。
精神が安定しない。お風呂が怖く、ごはんも進まない。
朝が来るのがつらく、夜が更けるのが怖い。
ずーっと心臓がどきどきしていて、安寧の時間が訪れない。

 

まともな人間を装う力が残っているので傍目には分かりにくいのだが、実は日常生活がいっぱいいっぱいの状態だ。
鈍感そうな人が、おいしそうにラーメンをすすっている姿がまぶしい。

 

先月23日(木・祝 天皇誕生日)あまりにつらかった時に占いの先生に電話した。

その相談料を早く持参したいと思っていた。今回初めて彼を連れて行った。

 

先生は、目がいってしまっている私を見て「なんて顔をしているの?」

と驚いていた。
ほんと、こっちが聞きたいよ。私、どうしちゃったんだろう。

 

「毎日息ができない。苦しいし、お風呂も怖いし、心療内科に行こうかとまで思っている。異動後に振られた仕事も苦手なことだらけ!」と包み隠さず言い放つ。

先生は私を抱いて「あんた、できるよ。これまでもやってきたでしょう。心療内科なんて行かんでいい。あんたはできるんよ。会社に必要なの。大丈夫、自信持って帰っておいで」と言った。そして興味深いことを付け加えた。
「あんたは精神がおかしくなっているわけじゃない。プライドがおかしなことになっとる。プライドがあんたを壊しとる」と。

あまりピンとこず、だからといって聞き直せる雰囲気でもなかった。
精神病ではなく、私の思考・考え方に問題があるのよ、というニュアンスだった。

 

先生は彼に「絢ちゃんと結婚する気はあるの?」と聞いた。
彼は「はい。僕は一緒になりたいとお願いしています」と言った。
先生は「そしたらしたらいいじゃん。結婚したらいいよ。私が責任取るよ。絢ちゃんも腹決め。いい年なんだし」と言った。
そのあと彼に「でもこの子(私のこと)結婚、下手なところあるけど」と言って笑っていた。

 

そう、私はこれまで家庭を持つことに興味がなく、一生恋をして生きていこうと思っていた。人一倍仕事をして、好きな人と恋愛をして、自分の思うように、好きなように生きていくんだと思っていた。自分に自信があったし、何でもできると思っていたのに、今はお風呂に入って身支度を整えることすらままならない。

 

「あんたは独身でよかったよ。変人だし、魔性の女。家庭におさまるタイプじゃない」と言っていた先生から「結婚してもいいよ」と言われたのは初めてだった。

 

占い師の先生に会った後、私は後輩の結婚式に出席した。
白いドレスにカラフルなブーケが映える。可愛い花嫁さんがみんなに祝福されていた。

 

 

会社関係の人もたくさん来ていたので「4月からよろしくお願いします」などとあいさつをする。上司に「4月からお願いしたいことがあるんだけど」と言われ、内容も聞かずに笑顔で「なんでも。おまかせください!」と答えた。
さっき占いの先生に「あんたはできる」と言われたから、そういう自分を演出してみた。本当はお風呂も日常生活もままならないくせにー。

 

結婚式が終わったら、私は一人で富山に帰らなければならない。
憂鬱だなぁ・・・と思っていたら、彼が「お風呂に入ろうか」と言った。
「どうして?」
「今入れば、富山に帰ってからひとりで怖い思いして入らなくていいでしょう」
本当に気が回る人だ。情けない自分との格差を感じ、涙が出た。

 

お風呂に入りながら、さっき占い師の先生に言われたことを振り返る。
「先生さ、プライドが私をおかしくしているって言ったよね」

その意味を彼と紐解いていく。

 

富山では自分の好きなことをプライドを持って極めていた。
企画して、取材して、リポートして、編集して。そうして作ったものが世に出て、良くも悪くも反響があって、視聴率が良かったり、営業成績につながったり。

面白くてやめられなかった。どんどん自分に負荷をかけて仕事を入れた。

悪い反響もコメントも何も怖くなかった。「そりゃ出れば叩かれるよね」と、肥やしにできるほど自分の心が強かった。

 

もうそんな風に仕事ができないんだなと思った。
「引継ぎしてください」と並べられた仕事は、自分にとっては苦手意識の強いものばかりだった。その仕事のどこに喜びを見出せばよいかわからず、天を仰いだ。

 

「どうしてお風呂が怖いんだろうね?」という話もした。

そもそも幼い時から水が苦手な方だった。シャンプーを嫌がる子だったらしい。それを克服するためにスイミングスクールに通わされ、真面目に通った結果バタフライまで泳げるようになった。それでも「水が怖い」というもともと備わった因子は、本当に弱っているときに顔を見せるのだろう。

 

この苦しみの因子は、外的なものではなく内的なものなのだとは自分でも感じている。

「助けてください!」と言わずとも、たくさんロープやボートが投げ込まれていることも分かっている。それを掴んで楽になればいいのに。それを掴もうとせずに勝手に溺れている自分が恨めしい。

 

溺れそう、溺れそうと言いながらもう、2週間が経とうとしている。