ブログを休眠します
日本大学芸術学部に在籍していたときから、私は自分の名前で勝負できる人間になりたいと思って生きてきました。
「生み出す作品すべてに責任を持とう」このブログもしかりです。
私はこれまで自分の心の機微を見つめながら、文章を書いてきました。
私小説やエッセイの醍醐味は、赤裸々であることだと思います。きれいにお化粧した文章には、やはり力がないのです。
SNS上にある「映え」や「マウントをとるための投稿」に嫌気がさす時代。私の文章の強みは自分の醜い部分、弱い部分、パーソナルな部分を晒すことにありました。
「中田絢子さんですよね?嘘のない文章に励まされています。わかる、わかる~って読み進めちゃうんです」と、まったく知らない人に声をかけられることもありました。新聞記者など書くことが本業の方にも「あの文章は中田さんにしか書けない。ファンです」などと言われ、嬉しさに震えることもありました。
私は作家にもなりたかったので、このブログも「全公開」で勝負していました。
偽名での投稿や、友達限定で公開する文章には何の魅力も感じなかった。
内容がかなりディープなため、身近な人ほど「読んでいるよ」と、私に言ってきません。しかし身近な人間や、社内の人間が読むだろうことも覚悟の上でした。
プライドと責任を持ってアップしていました。酒の肴にされてもいい。陰口をたたかれてもいい。「文章を発表すること」「顔と名前を出して勝負する」ということは、そういうことだと思っているからです。
日本国憲法が保障する表現の自由を胸に、「人を傷つけない」「業務で知り得た情報は漏らさない」ことを心に書いてきました。
私は長年放送局で働いてきましたが、ずっと自分の仕事内容や立ち位置に不満がありました。心が腐ることが多かった。富山にいたときだけ、その不満は和らぎました。そんな私にとって、このブログは「本当の自分を表現できる唯一の場所」でもあったのです。
しかし春の異動を機に、私はこのブログを休眠することにしました。
私は心から出世に興味がありません。通りすがりの芸術家的な立ち位置で、自分らしく好きにVTRが作れればいいくらいに思っていました。しかし会社が用意してくれたポジションは、望むと望まざるにかかわらず「王道」ど真ん中の責任ある立ち位置でした。
「もうブログで赤裸々に表現することには終止符を打って、本業の仕事の中で自己実現をしてみたらどうか。誰もやってこなかったことを、あなたにお願いしたい」「放送局でしかできないことをやって、花咲かせよう」との助言がありました。
「自分の心を書くことは生きること」と思っていたので、すぐに「はい」とは言えなかった。
でも今は意固地にならずに、吹いている風に乗った方が自分も楽になるような、新しい可能性が開けるような気がしたのです。
最近の記事に関しては、たくさんの方にご心配をおかけし、温かい言葉をかけていただきました。この痛みや苦しみが、今後の取材活動や番組作りへの糧となれば―。
人の心に訴えかけるような表現を、今度は本業のテレビの世界で模索していこうと思います。長年読んでいただきありがとうございました。感謝を込めて―。
2023年3月16日(木)8:30
強い自分がいなくなった
朝、目が覚めるたびに、死にそうだと思う。
息が苦しい。もう私はこのまま通常の日常生活に戻れないのだろうか?と思う。
会社に行きたくないわけではない、人と会いたくないわけではない、むしろ「やらねばならぬこと」があることはありがたいと思う。
会社員で良かったと思う。
ただ、外出するための身支度がきつい。
日々、心臓をぞうきん絞りされているような苦しさだ。
しかし、心臓に手を当ててみてもあまりどくどくしている感じはない。
手首で心拍数をはかっても78回。成人の正常値である60~100回の範囲内だ。
病気ではなく精神的なものであることは、自分が一番わかっている。
こうなってしまってから、あらゆることが怖くなった。驚くほど、日常生活が怖いのだ。
息が苦しいため、風呂に入るのが怖い。
息が苦しいため、食べるのも怖い。
喉が渇くので水やお茶は飲むのだが、その水分で溺れそうになるので水分摂取すらも怖い。
「美味しい紅茶を淹れて、リラックスしましょうか」という優雅な時間さえも、今や恐怖心を覚える。水分が怖い。つまり生きること全般が怖いのだ。
異動にあたり、支局にあるVTRの整理をしている。
スタッフが「どれを残してどれを消去しましょうか?」と聞いてきた。
その中に滝修行のVTRがあったので、もう一度見直してみた。
VTRの中には「行ってきます!」と笑顔で滝に飛び込み、頭から水を浴び、「最高です!」とリポートしている自分がいた。
その表情のひとつひとつが「生きている人間」だ。たった1カ月半前の自分が、自分じゃない誰かに見えた。眩しかった。
私は人より、あらゆるものに強いと思っていた。
ジャーナリストとして見なければいけないものは、しかとこの目で見たいと思うので、
どんな壮絶な現場でも行かせてもらえるなら行きたい方だった。
「世界の死刑」なるドキュメンタリー映画を観に行ったこともあるし、残虐な映像にも強い方だと思う。夏になると戦争のドキュメントが多く放送されるが、それらもくまなく見て事実を知ろうと努めてきた。
しかし今は、何も見られない。
先日、彼が「戦艦大和」関係の番組を再生していた。その番組では「村の誉、家の誉」として出征していく青年が描かれていた。戦争時代の番組は2人で見ることが多かったのだが、私は「ごめん、今これ見たら苦しくて死にそうになる…」と、TVを消すよう彼に頼んだ。
また彼が「柏原芳恵の『春なのに』って曲さ、もらったボタンすぐ捨てるんだよね 元も子もないよね」と言って笑っている。
中島みゆき作詞の「春なのに」
確かにサビの部分に「記念にください ボタンをひとつ 青い空に 捨てます」とある。
いつもなら「えっ、そんな歌詞なの!?」と、大笑いして終わるところなのだが、そのメロディーがせつなすぎて、また心臓がぎゅっと絞られるような感覚を覚えた。
いまは音楽ですら、何も聴きたくない。
元気な曲は今の自分には何も響かず、悲しい曲はすぐに引っ張られ泣いてしまう。
食べることに関しても、まったく消極的だ。
仕事終わりに一人でがつがつ外食するのが好きだった私は、これまで「今夜はとんかつにしようか、パスタにしようか、期間限定のうどんにしようか・・・」などと、思い巡らせ、にやにやしながら、ときに大盛りをオーダーした。
しかし今は「外食パラダイス通り」を通っても、自分とは無関係の施設に見え、どの看板を見ても入りたいと思わない。
半年前大きな生命保険に入る時に、受取人を妹にした。
「私が死んだら、あんたに大きなお金が入るようにしておいたよ」と言ったら、妹は喜ぶどころか「やめてー。お姉ちゃん、私より先に死なないでー」という反応だった。
しっかり者で強い私は家族の間でも一目置かれ、みんな私に看取ってほしいと願っていた。元気な私は「よし、こい!みんな私がちゃんと見送ってあげるから、安心して死になさい!私は孤独死で結構!」と言い、本当に孤独死万歳と思って生きてきた。
しかし、今は孤独死万歳!どころか、生きながらにして半死に状態である。
階段から落ちて骨を折り松葉杖をついていれば、周りの人間は「どれほど不便なのか」分かってくれるだろう。しかし息苦しくて身支度や日常生活がままならないと言っても、心の苦しみは人に伝える術がない。いっそ酸素マスクをつけながら生活しようか、と思うほどなのだが、そういうわけにもいかない。
世の中はWBCで盛り上がっている。まぶしい選手たちの活躍が別世界のことのようだ。
私の中に、自分の核ともいえる「強い自分」がいなくなった。
「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」
命からがら湯船から出たとき、かの有名な太宰のフレーズが頭に浮かんだ。
2023年3月10日(金)8:30 くもりのち晴れ
結婚を意識した日
2023年3月5日(日)晴れ
それにしても、毎日死にそうだ。
精神が安定しない。お風呂が怖く、ごはんも進まない。
朝が来るのがつらく、夜が更けるのが怖い。
ずーっと心臓がどきどきしていて、安寧の時間が訪れない。
まともな人間を装う力が残っているので傍目には分かりにくいのだが、実は日常生活がいっぱいいっぱいの状態だ。
鈍感そうな人が、おいしそうにラーメンをすすっている姿がまぶしい。
先月23日(木・祝 天皇誕生日)あまりにつらかった時に占いの先生に電話した。
その相談料を早く持参したいと思っていた。今回初めて彼を連れて行った。
先生は、目がいってしまっている私を見て「なんて顔をしているの?」
と驚いていた。
ほんと、こっちが聞きたいよ。私、どうしちゃったんだろう。
「毎日息ができない。苦しいし、お風呂も怖いし、心療内科に行こうかとまで思っている。異動後に振られた仕事も苦手なことだらけ!」と包み隠さず言い放つ。
先生は私を抱いて「あんた、できるよ。これまでもやってきたでしょう。心療内科なんて行かんでいい。あんたはできるんよ。会社に必要なの。大丈夫、自信持って帰っておいで」と言った。そして興味深いことを付け加えた。
「あんたは精神がおかしくなっているわけじゃない。プライドがおかしなことになっとる。プライドがあんたを壊しとる」と。
あまりピンとこず、だからといって聞き直せる雰囲気でもなかった。
精神病ではなく、私の思考・考え方に問題があるのよ、というニュアンスだった。
先生は彼に「絢ちゃんと結婚する気はあるの?」と聞いた。
彼は「はい。僕は一緒になりたいとお願いしています」と言った。
先生は「そしたらしたらいいじゃん。結婚したらいいよ。私が責任取るよ。絢ちゃんも腹決め。いい年なんだし」と言った。
そのあと彼に「でもこの子(私のこと)結婚、下手なところあるけど」と言って笑っていた。
そう、私はこれまで家庭を持つことに興味がなく、一生恋をして生きていこうと思っていた。人一倍仕事をして、好きな人と恋愛をして、自分の思うように、好きなように生きていくんだと思っていた。自分に自信があったし、何でもできると思っていたのに、今はお風呂に入って身支度を整えることすらままならない。
「あんたは独身でよかったよ。変人だし、魔性の女。家庭におさまるタイプじゃない」と言っていた先生から「結婚してもいいよ」と言われたのは初めてだった。
占い師の先生に会った後、私は後輩の結婚式に出席した。
白いドレスにカラフルなブーケが映える。可愛い花嫁さんがみんなに祝福されていた。
会社関係の人もたくさん来ていたので「4月からよろしくお願いします」などとあいさつをする。上司に「4月からお願いしたいことがあるんだけど」と言われ、内容も聞かずに笑顔で「なんでも。おまかせください!」と答えた。
さっき占いの先生に「あんたはできる」と言われたから、そういう自分を演出してみた。本当はお風呂も日常生活もままならないくせにー。
結婚式が終わったら、私は一人で富山に帰らなければならない。
憂鬱だなぁ・・・と思っていたら、彼が「お風呂に入ろうか」と言った。
「どうして?」
「今入れば、富山に帰ってからひとりで怖い思いして入らなくていいでしょう」
本当に気が回る人だ。情けない自分との格差を感じ、涙が出た。
お風呂に入りながら、さっき占い師の先生に言われたことを振り返る。
「先生さ、プライドが私をおかしくしているって言ったよね」
その意味を彼と紐解いていく。
富山では自分の好きなことをプライドを持って極めていた。
企画して、取材して、リポートして、編集して。そうして作ったものが世に出て、良くも悪くも反響があって、視聴率が良かったり、営業成績につながったり。
面白くてやめられなかった。どんどん自分に負荷をかけて仕事を入れた。
悪い反響もコメントも何も怖くなかった。「そりゃ出れば叩かれるよね」と、肥やしにできるほど自分の心が強かった。
もうそんな風に仕事ができないんだなと思った。
「引継ぎしてください」と並べられた仕事は、自分にとっては苦手意識の強いものばかりだった。その仕事のどこに喜びを見出せばよいかわからず、天を仰いだ。
「どうしてお風呂が怖いんだろうね?」という話もした。
そもそも幼い時から水が苦手な方だった。シャンプーを嫌がる子だったらしい。それを克服するためにスイミングスクールに通わされ、真面目に通った結果バタフライまで泳げるようになった。それでも「水が怖い」というもともと備わった因子は、本当に弱っているときに顔を見せるのだろう。
この苦しみの因子は、外的なものではなく内的なものなのだとは自分でも感じている。
「助けてください!」と言わずとも、たくさんロープやボートが投げ込まれていることも分かっている。それを掴んで楽になればいいのに。それを掴もうとせずに勝手に溺れている自分が恨めしい。
溺れそう、溺れそうと言いながらもう、2週間が経とうとしている。
半病人と傲慢さ
2023年3月4日(土)晴れ
後輩の結婚式があるので、金沢に行くことにした。
異動が決まってから情緒不安定で、呼吸も苦しくどうしようもないのだけれど、結婚式はぜひ出席したいと思っていた。自分の体と気持ちを、金沢に慣らしていく良い機会かもしれない。
前日の16:00過ぎ、二人へのプレゼントを選びに富山ガラス工房に寄った。
お酒が好きな子なので、晩酌の時間を楽しめるよう大きめのペアグラスを購入した。ななこ文様で有名なガラス作家・坂田裕昭さんのもの。色は水色&ピンク。
ふらっと買い物に行っただけなのに、取材のときにお世話になった企画の堀田裕子さん、作家の市川知也さん、技術部長の和田修次郎さんと、3人もの方にお会いした。「4月から金沢なんです。ここが大好きだったから、今クヨクヨしています」と言う。
素敵なプレゼントも準備できたので、暗くならないうちに金沢に向かう。
彼が私のマンションで待っていてくれるよう。
あらかじめ「今夜は大変かも」と伝えていた。
「ん?何でにゃ?」
「半病人が行くから。食べさせたり、風呂入れたり、介護みたいになるかも。迷惑かけてすみません」
彼からは「晩御飯だよ」と、お寿司の写真が送られてきた。
「スープも用意しとくからゆっくり栄養とろうね」
17:30過ぎ帰宅。最近食べることへの興味も失せていたのだが、美味しいお寿司を前にまあまあ食欲がわいてきた。ぱく、ぱく、と食べる。
彼が作ってくれたミネストローネもすする。
ホワイトデーのプレゼントもザクザクに準備してくれていた。紅茶の詰め合わせに、旧式カメラ型のチョコレート。カメラ缶が可愛いのでペン立てにでもしようかなと思う。
「会社の女子集団用にと思ったのだけど、よくよく見るとむっちゃ美味しそーで。あげるのやめた」と。ベルギー産チョコとクッキーのコラボまで私のものになった。
食事を終えると「じゃあ、お風呂に行こうか」と、苦手なお風呂タイムに誘導された。
彼に見守ってもらいながら、顔を洗ったり、頭を洗ったりする。「鼻うがい」ができたら上等だということで、恐る恐る鼻うがいにも挑戦。ヴァァァア・・・と声を出しながら、片鼻から水を出す。
息が苦しくなるのでお風呂のドアを少し開けて入っていたら、お湯が早く冷めてしまった。
心がぐらぐらしていて、食事も、お風呂も、ひと仕事な日々。
ベッドの部屋に行くのも寒くて嫌だったので、お客さん用のふとんをリビングに持ってきてごろごろする。きょうはR-1グランプリや、ENGEIグランドスラムなどお笑い番組が目白押しだったので、それを見ながら心をほぐすようにする。
彼に丁寧に面倒を見てもらい「ありがたいなぁ~」と思う。でも私の精神状態は本調子ではない。
包み隠さず書いてしまえば「いつもの」私ならば、心の中に「私の面倒をみられて楽しそうだねぇ~」という傲慢さがあるのだ。
別にそのことを態度に出したり、言葉に出したりはしない。
心の中で「うふふ。面倒見のいい彼は、私のお世話を楽しそうにしているぞ。いひひ」と思うのだ。
その傲慢さこそが私らしさであり、パワフルに生きられるゆえんである。
今はそんな気持ちがごっそりそぎ落とされているため、自分で自分が頼りない。
まだ私の傲慢さが残っているとすれば「このままだと、嫌われて捨てられるかも―」ということまでは思っていないということだ。そこはまだ強気で「嫌いなら、ふってもらって結構」「好きじゃなくなったら、ばっさり捨ててもらって結構」と、思っている。
あすは後輩の結婚式へ―。天気予報は晴れ。
別れの春
春の人事異動で金沢に戻ることになった。
4月1日付で報道情報センターに配属されるので、仕事内容はこれまでとそんなには変わらない。古巣に戻るという感じだ。
内示を受けてからというもの、富山を離れることが嫌で嫌で、悲しくて悲しくてどうにもならなくなっていた。富山に大切なものが出来過ぎていたのだと思う。
「また遊びに来ればいいよ」「となり同士の県だからいつでも会えるよ」という言葉は何の慰めにもならない。私は富山に根付いて、ここで日常生活を営み、ここで仕事に邁進したかったのだ。何ならここで定年を迎えたいとも思っていたくらい、ここでの生活を愛していた。
心の機微を分かち合える、私が困る前にそっと助け舟を出してくれる、そんな大切な人が、わずかだがいた。お互い信頼し合って本心をこぼし弱みを見せ合えた。
どこも同じだと思うが、社内の人間関係はきょうの味方があすの敵になるケースが少なくない。味方面して近づいてきて、情報を吸い上げるだけ吸い上げて、最終的には「刺してくる」人間がいないではない。嫌な思いを何度かした。
富山にいると会社の歯車というより、一人の人間として深い呼吸をしながら生きられた。好きな人とだけ会い、興味のあることを学び、人間関係の輪が広がった。私は富山での生活にたくさんの喜びを見出し、魂を込めて大切に大切にはぐくんできた。
だから内示があったときは、赤紙がきたような絶望感だった。
あんなに長くいさせてほしいと願っていたのにー。2年間の富山生活だった。
私は「別れ」と「環境の変化」にとても弱い。
何度経験しても「別離」に対する免疫がつかない。
息切れと動悸でお風呂に入ることが恐怖になり、髪を洗った後はドライヤーの風で息が止まりそうになる。日常生活がままならない。
人生であと何回こんなつらい思いをしなければならないんだろうと思うと、途方にくれた。
お母さんはいつまで生きているんだろう、彼はいつまでそばにいてくれるんだろう。
心の支えの占い師がいなくなったら私は何を指針に生きていったらいいんだろう・・・
今回の異動を発端に、まだ起こってもいない別離にまで思いを馳せ、自分が壊れていくのがわかった。
先月、富山市の図書カードを作り、山本文緒さんの「無人島のふたり」という本を予約していた。「余命120日を宣告されて、夫と暮らす日々のことを書き続けた134日間の日記。作者から読者へのラストメッセージとなる一冊です」と紹介されている。
とても人気の本のようで、約60人待ちの状態だったが予約した。
でも、今の私にはとても読めない。読むと心が崩壊すると思った。
それに私の番が巡ってきたときには、もう私は富山にはいない時期だろう。
私は引っ越し準備の一環として、富山市立図書館の予約本をキャンセルした。
2022年3月1日(水)
出掛ける準備に2時間
2023年2月26日(日)くもりのち雨
私は記者なので、基本、身支度は早い。
事件事故が起きれば現場にすっ飛んでいくので、すっぴんからテレビでリポートできる顔になるまで15分あれば整う。
が、20日(月)のあることがきっかけで気持ちがざわつき、その後精神状態が崩壊しかけ、日常生活のよしなしごとがままならなくなってきた。
体の不都合ではなく心の不都合で、こんなに変わるものかと思った。
きょうは午後から取材を入れていた。
8時に起きて身支度を始めた。
風呂に入り、髪を乾かし、メイクをして、着替える。
こんな単純な作業に2時間もかかってしまった。
まず、動悸があるので風呂に入るのが怖い。大波にさらわれそうな気持ちになるのだ。
はぁはぁ、ぜーぜー言いながら身支度をする。
ここ最近、思いもかけない人からメッセージをいただく機会も増えた。
起きたら友人のSちゃんからメッセージが入っていた。
「実は精神科通院歴16年選手です。障害者手帳も持っているのです」と。
彼女は料理も文章も上手で、結婚して幸せそうに暮らしている。
そんな感じを1ミリも感じさせなかった女性だ。
妹からもメッセージが入っていた
「やほ 溺れてないか? 私は今、陸の人間や 気の利いた事は言えんし、今までの事を1から10まで説明せんなんくて面倒やし役立たずかもしれんけど 一応、今日なら子供の用事なく家におるし電話できるよ」と。
陸の人間と、溺れている人間。そう、きのう私はブログにこう記した。
「私は気付いた。精神的に追い込まれている本人(私)は、もう溺れて死ぬかもしれないという気分で書いているのだが、受け止める方は、酸素のたくさんある陸で冷静に私を見ているということに」と。
妹と電話で話すことにした。
私は「もう~。出掛ける準備だけで2時間やよ。お風呂入るのも一大決心やし、シャンプーは怖いし、顔洗うのも怖いし、嫌になるよ・・・」と嘆いた。
すると妹は私に「偉いっ!」と言った。
「2時間かけて身支度?そこまでして、おねえ出かけようとしとるん?偉すぎない?」と。
「えっ、偉い!?なぜ??」
妹に偉いと言われて実にいい気分である。
午後から取材あるしリポートもするし、汚いままでは行けないのでやむを得ず、どうにかこうにかなのだ。
「身支度して出掛けようとする気持ちがある限り、それ以上狂わないよ」
妹とは50分の電話を2回した。ずっとずっとしゃべっていた。
妹は「デトックスしたら。宿便全部出すみたいに、クリアにした方がいい。切り捨てるものは切り捨てたら、仕事なり、自分が輝けることの運が上がってくる気がする」と言っていた。
そう、そうしたい。そうしようと、頭ではわかっている。
温泉施設で行われるお祭り関連の取材へ向かう。
行きの車が寒かったので暖房をつける。するとその風が私の顔にあたり、その微風だけで息苦しくなる。
温泉施設では、お風呂セットを持った親子連れらがうれしそうにお風呂に向かっている。私は今、水やお湯が恐怖の対象なので「ああ、世の人々はお風呂に恐怖を感じないんだよな・・・」と当たり前のことを認識したりする。
妹からラインが入った。
「ドライシャンプー、メイク落としシート これで溺れない👍」と。
おすすめの商品の写真も送られてきた。
確かに溺れないけど・・・。それだけで数日過ごすのは、やはり痒そうである。
よってまたあすも、一大決心のもと私は風呂に入るのだろう。
診断書と『戻れない日常』
2023年2月25日(土)くもりときどき雪が舞う
きょうは餅つき大会に行くため、10:00にちーちゃんが迎えにくる。
いつもなら心躍る予定なのだが、あまり睡眠がとれていないせいか苦しい朝だ。
8:30に起きて準備をしようとするが、やはり動悸がやまない。
やばいかも。95%餅つき大会に行く気でいたのに、また心療内科の線も捨てられない体調になってきた。
どうしよう、どうしよう・・・彼に電話をかけてみる。
「今も動悸がしてて・・・うげえぇぇぇぇ。餅つき大会に行きたいし、ちーちゃんにも会いたいのに・・・泣 水が怖いし、顔洗うのも怖いし、ああ、げぼも吐きそう・・・うげえぇぇぇぇ」
実は私にはある目的があって、きょう心療内科に行こうとしていたのだけれど、その目的を人に話したときに「それは無理筋だよ」と言われた。私の書いたシナリオは自分に都合のいい解釈で書いた筋で、現実はその通りに行かないと。
おまけにどこの病院がいいのか、そこまでどうやって行くかなど、考えなければならないことが多く、そもそも予約なしで駆け込んでいいのかどうかもわからなかった。
彼も「傾向や対策を知るために、プロに見てもらうことはありだと思うけど、急がなくてもいいかもね」と言ってくれた。
きょうは自力で病院に駆け込むより、迎えに来てくれたちーちゃんの車に乗った方が
自分自身が楽だと思い、命からがら風呂に入り、身支度をし、約束の時間を迎えた。
ドライブ中、車窓に雪が舞っていた。
餅つき大会はJA高岡農産物直売所『あぐりっち』が閉店することに伴い行われるイベントだった。ここに通い詰めていたお客さんたちが、とても残念そうにしている。
併設されるジュン ブレンド キッチンは直売所が閉店したあとも営業を続けるそう。
ちーちゃんが「ここのサラダランチが絶品ねんて!サラダだけでお腹膨れる?って思うかもしれんけど、めっちゃ満足するよ」と言っている。
野菜それぞれに違う味がついている。そしてキャベツにかけられたドレッシングが美味しい。ここはチキン南蛮定食も人気なので、チキン南蛮は持ち帰りにした。
少し「気持ちが落ち着いてきたかな・・・」というときに私の心をざわつかせる着信が入り、精神状態はもとの木阿弥に。不躾な人。がさつな人。とても嫌い。
六角堂でお茶をしながら、ちーちゃんが話してくれたことがとても興味深かった。
「私も手足が震えてどうしようもなくなったことがあったんだ。そのとき心療内科のお医者さんからは『とりあえず朝起きて、仕事に行き、帰ってきて風呂に入り、寝るという、規則正しい生活を崩さないでください』って言われたの。すごく優しいお医者さんだったけど、診断書は書いてくれんかった。『診断書を書いてしまうと、もう戻れなくなるので書きません』って言われたんよ」と。
「もう戻れなくなるー」
その言葉の深みが、すっと心の中に入ってきた。
その通りかもしれない。確かに一度、日常のよしなしごとからフェードアウトすると
戻るのが難しいことは、想像に難くない。
そのあとすてきな古本屋さんにも寄った。本は大好きだけれど、今はあまり新しい情報を入れる気が起きなかった。ああ、自分は弱っているんだなと思った。
きょう1日、やはり本調子ではなかった。ランチのときも少し動悸がし、お茶は抜群に美味しいのに、そのお茶に溺れそうになる感覚はぬぐえなかった。
きょうあったことを、45分ほどかけて母に電話で話した。
あまり眠れていない日が続いていたことから、20:00ごろ横になる。
一度夜中の0:00に起きて、また朝の8:00ごろまで寝た。
★「診断書を書くと戻れなくなる」という言葉は、そのお医者さんがちーちゃんを見て判断したもの。その医師が絶対に診断書を書かないというわけではありません。あくまでも診断の一例です。