痴女ピエロ
メガネの写真が送られてきた。変わったフォルム。繊細なデザイン。
「きょうは眼鏡を変え、ささやかな気分転換です」とある。
ときどき連絡を取り合う男性からのLINEだ。
「本当はかけてる写真が欲しいですが。
まあ私と違って、ご自身の写真を送りつけたりはされないですもんね…」と返す。
「かけた写真を送るのは、気恥ずかしいので。今度見せるよ」
「気恥ずかしい」というワードが、彼の人柄を表している。
10年ほど前からの友人だが、私は彼の写真を1枚も持っていない。
一緒に撮ったこともない。
「本当は1枚くらい写真欲しいですけどね」と言ってみる。
「僕の写真1枚も持っていませんでしたっけ?僕はナカダさんの水着の写真も持ってますけどね」と言われ、腰を抜かしそうになる。
!!!
驚いた。そうだったっけ?
私はその人と一緒に海やプールに行ったわけではない。
その人が私の水着姿を撮影したわけでもない。
思い当たることとすれば・・・
7年前、女友達と行った海外旅行。
ベトナムのリゾート地・ダナンのプールで撮った写真を、私から彼に送りつけた記憶が蘇る。
私は自分の行動に絶句した。
「そんなもの送ってましたか…。すっかり忘れていましたが、送ったかもしれない。
ええ、送りましたね…。すいません、本当にすいません」
「どうしてすいませんなの?」その人は私が謝る姿を不思議そうに見つめていた。
きっとあのときはダナンの美しいプールにテンションが上がっていたのだ。
白と紺のボーダーの水着だ。間違いない。
どんなポーズのカットだろう。
自分のしたこととは言え、恐ろしすぎて細かく聞けない。
彼氏でもない男性に、どうしてそんな図々しいことをしてしまったんだろう。
頼まれてもいないのに。望まれてもいないのに。「水着写真送って」と、冗談でも言われていないのに。
まるで、大バカ者のピエロではないか。
家に帰ってゆっくり考えてみた。
そうして、自分と向き合い反省文をしたためた。
「写真を送るのは、たぶん自信のなさの表れです…。
忘れられたくなくて、思い出してほしくて、そうしてるんです。
テレビ人間の安易なやりかたをお許しください」
テレビの世界にいると、「強い絵」を使いたくなる。
インパクトのある絵を、見せつける癖がついている。
水着姿ではないが、今でも写真を送ってしまう。
こんな場所に来た、こんなことをしている、こんなものを食べている…と。
頼まれてもいないのに、ちゃべちゃべと。(金沢弁で出しゃばってという意)
自己顕示欲の塊だ。自分でもわかっている。
まわりの人間も私をそう見ている。わかっている。わかっている。
もう、やめよう。本当に、やめよう。
私のことなど何とも思っていない人に、どうしてそんなことができたのか。
哀れな痴女ピエロを、いよいよ卒業せねば―。
そう思っていた矢先、ピコンとLINEがなった。
「忘れないし、思っています。安心して。安易とか許してとか、そんな言い方はおかしいです。写真を送ってくれるのは、嬉しいです。送りつけられてる、なんて露ほども思ってないよ」
今しがたまで、火渡りの荒行に出ようかと思うくらい反省していたのに、
思いがけぬ優しい返信に、はらはらと心が溶けていく。
ピコン 再びラインがなった。
「帰りの車内で撮ってみました。難しい」
そこには自撮りとは無縁な人の、自撮り写真が添付されていた。
慣れない表情の瞳がこちらを見ている。
私は息が止まるほど驚いた。
何たる歩み寄り。
「私のために慣れないことをしてくださり、何よりその気持ちがうれしいです。」
いま、何も欠けているものがない。藤原道長の唄を思い出す。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」
奇しくも翌日は中秋の名月だ。