ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

自己表現と化学反応 ③アートとエロス

★続きモノなので自己表現と化学反応①から読んでいただけると幸いです

 

2021年4月25日(日)

 

童話のような、非日常の世界をカメラで撮って写真展にしたいという私なりの考え。

それに対し、プロデューサー(以下P)からは「私はまったく違うアプローチでの提案を考えているんですよ!詳細はミーティングのときに!」と返信がきた。

 

えっ!?私のプレゼンは!?

さっきの文章も、まあまあ本域で書いてしまったのだが、ほぼスルーされ恥ずかしい。

考えがあるなら先に言ってくれよ、と思う。

Pは一体何を考えているのだろうか?想像もつかない。

 

そして、いよいよミーティング。

 

「どんなアーティストが好きですか?」などと、まずは質問される。

「日本の画家なら藤城清治」「外国なら・・・シャガールが好きですね」と答える。

 

「童話のような世界観 いつ どこで撮ったかわからないような非日常」という方向性は、私の中で変わっていない。

 

するとPが「気を悪くしないでくださいね」と言って、おもむろに語り始めた。

 

えっ!?何!?今から私の気が悪くなることが発表されるのか?

嫌な前置きだ。怖い怖い怖い怖い怖い・・・。

気を悪くしたくないよ、と3秒くらい思う。

 

でもPは語ることをやめない。

「ayakoさんって、リポートしたり、人前で話したり『見られる立場』の人ですよね。でもブログの中で書かれる文章は、かなり赤裸々ですよね。ある意味、公の人が放送禁止用語をしゃべっているようなギャップがある。自分だったら絶対書かない「素」の部分を見せてくれている。僕はそこにエネルギーを感じるんです。そこを追っていくと面白いのかも、と思うんですよね」

 

私はただただ圧倒されて、Pの分析を聞いている。

 

「結局作品って、自分の中にあるものしかテーマにできないと思うんですね。僕が考える次の写真展は、ayakoさんが考えているようなふわ~っとしたものではない。熱いものなんです。僕はエロスと殺気を感じるんです」

 

エロスと殺気!?

 

私の精神状態は、目からウロコどころの騒ぎではない。

神髄を突かれ過ぎたというか・・・。

42年間生きてきて、ようやく他人が私の神髄に触れてきたというような衝撃。

 

私はPの前で、自首するように言葉を発する。

「確かに・・・。私は友達がほとんどいません。話を聞いてもらうことに遠慮があるんです。好き勝手に噂話に興じる人たちを、どこかうらやましくもあり、軽蔑もしています。私は自分の思いを迷惑をかけずに発信したいんです。気持ちの浄化というか・・・」

 

Pが言い放つ。

「読んでほしいと思っているエロス 変態ですね ド変態ですね」

 

エロス、殺気、ド変態 

 

一応、Pと私の名誉のために書くが、言葉攻め変態ごっこをやっているわけではない。

Pは恐ろしいほど、プロデューサー気質なのだ。

 

これまでにない写真展にするために、私の中にあるマグマのような感情に気づかせてくれ、全力でぶつかってきてくれたことが伝わる。

 

「ayakoさんの本質はそこにあるんじゃないですかね」と、Pは言った。

 

私は大学時代から「物書き」になりたかった。「誰かいい編集者が私の存在を見つけてくれますように」「私の作品が本になりますように」と夢見た時代がある。本の世界でなら「熱い自我」を通せると思っていたからだ。

 

それから時代は流れ、作家にならなくてもこうして自分の文章が人々に読んでもらえるシステムが構築された。せっかくだから、自分らしく、書きたいことを書いていこうと思って始めたブログ。

 

そこでこんなに強烈な玄人(くろうと)読み手が現れ、私をプロデュースしてくれることになるなんて、学生時代の自分には思いもつかないことだった。