ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

10年分の日記が消えた VOL②

★続きモノなので、ぜひVOL①から読んでくださいね♪

 

2019年11月27日(土)晴れときどきくもり

 

ブログを2人の秘密の日記帳代わりに使いだしたのは、2007年。29歳のころだった。当たり前だが2人は今より若く、自信があり、夢があり、何をしてもわくわくしていた。物欲もあったし、性欲もあったし、モテたいという欲もあったと思う。

気持ちも体もじゅくじゅくと、したたる果実のような時期だった。

 

結婚、出産、新築と、真っ当な人生を着々と歩んでいるCちゃんの隣で、私は意思をもって独身を貫き、自分らしい人生を歩んできた。互いの生き方を尊重し、その間に、感じたこと、涙したこと、決断したことなどを事細かに綴ってきた。それがきれいさっぱり消え失せたのだ。

 

驚いた私はCちゃんに慌てふためいてラインをした。

「大変なことになった」「ヤフーブログが長年のご愛顧ありがとうといって、なくなっている」「うちらの29歳からのデータがすべてない」「Cちゃん、なんかにコピーとかしてないけ?」「少しでもほかに残っていたらほしい」「パニック」「パニック」

 

Cちゃんからの返信「残してない!あのデータはほかに漏れちゃいけないし、あの場だけと思ってたから」「もはや今手持ちの絵文字じゃ表現できんほど、胸がドキドキしとる」「一生消えないと思ってたのに」

 

私たちは、おばあさんになったときに、このブログを見るイメージで書いてきた。

なんなら「死んだ後も永久不滅に私たちの雑文が残っている。パスワードさえ入れれば誰かが見ることもできる。それがインターネットの世界だ」と思っていたのだ。

災害にあっても、パソコンが水没しても、アップロードした記事だけは残るものと思い込んでいた。

 

私たちは絶対に盗まれない「絶対金庫」に金銀財宝を詰め込んだと思い安心していた。「あそこにいけば5000万円ほどあるね。今は使わないけれど、必要なときにあそこにあるね」と言いながら目の前のことに没頭し、ちょっと金庫のほうを見に行ったら、きれいさっぱり5000万円が盗まれていた、というような感覚だ。

 

大きな金庫も、大男が数人いれば盗むことは可能だろう。ピッキングの知識があれば、金庫をこじ開け、中身を盗んでいくこともあるだろう。でもブログだけは大丈夫。絶対に誰にも盗まれない。これまで「パスワードを忘れないようにしよう」という心がけはしてきたのだが、中身がなくなるなんて考えたこともなかった。

 

ノートルダム寺院も、首里城も、焼けてなくなってしまった。創造と破壊。人類の歴史はその繰り返しだ。形あるものはなくなる。だから電子化しておこうと、ブログに書いてきたのに。電子化したものは、失ってしまうと骨組みすら残らない。

「絶対金庫」と思い込んでいた金庫は、絶対ではなかった。

 

29歳から41歳までの記憶。2011年(33歳)~2015年(37歳)までは富山支局にいたので「しろえびダイアリー」という社内用の月間記録をつけてきた。2013年(35歳)からはFacebookをはじめ、2014年(36歳)からはアメブロで公開前提の日記を書いてきた。自分が何を感じ何に興味があったのか、どんな仕事をしてきたのか、文章で残っているものもある。

が、それはあくまでも「公開前提」のものだ。嫉妬や、葛藤や、醜態。天気や、見たテレビや、訪れた飲食店。誰に何を言われてどんな気持ちになったのか、誰に心を焦がし狂うほどに愛したのか。事細かに記してあるのは、2人しか見られないあのブログ日記だけだった。

 

テレビ的にいうと、きれいに編集されたものは残っているが、「素材」と呼ばれる編集前のデータをすべて失ってしまったことになる。本当は素材こそ面白いのだ。誰かの役に立つものではないけれど、もう二度と生み出せない財産・・・。

 

失ったものの大きさに我を忘れ呆然としていたが、そうこうしている間も日常生活は止まらない。この日は夕方から、彼にテールシチューを作る約束をしていた。クリスマスプレゼントにもらった圧力鍋で。

 

10年分の日記が消えた VOL③につづく