ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

寝ているときも考え中

母が「あの件どうなった?」と、私が考え中のことについて催促してきた。

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うるさいママちゃん

私は「あぁん、もうっ!今、考えているところや。おかんにはわからんかもしれんけど、私はこうして歩いているときも、寝ているときも、考えを巡らせているんだから。いちいち聞いてこないで」と言った。

母は「ほぉ~。すごいね、あんたは。歩いているときも、寝ているときも考えているのか。さっすがやね~!違うね~!!ぐふふ。アヤはこうして歩いとるときも考えとるやて~と、私が歩いている様子を再現し、大げさに驚いてみせた。

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別にたいしたことを考えているわけではない。地元公民館の文化祭に提出する写真のタイトルをどうするか?と、考えていただけだ。そもそも私は提出に消極的だった。しかし母が「私は手作りのエプロンを提出するから、あんたも写真出さんけ?」とうるさいので、さっき提出する作品を選んだばかりなのだ。

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ママちゃん手作り幼児エプロン

 

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去年はマスクコンテストに応募していたママちゃん

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ハロウィーンのマスク ママちゃん上手!

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去年、私が出品した2枚の写真 どちらも賞をいただいた

私は写真を2枚出すことにした。1枚目のタイトルはさくっと決まったのだが、もう1枚のタイトルがすぐには降りてこなかった。私は「おやつを食べたり、昼寝をしたりしている間に浮かぶだろう…」と思い、いったん『神様にお預けタイム』を取って、くつろいでいた。そんな折に「タイトルどうするん?」と急かされたのだ。

 

そもそも締め切りまではまだ時間があるし、私が出品するので母の手を煩わせることはない。さっき「そんなに言うなら出品してみるか…」と決心し写真を選んだばかりなのに、「タイトル決まった?ねぇ、何になった??」とは、なんともせわしない。

 

私は相手があることは、即断即決する。「行く」「行かない」「する」「しない」

「考えさせて」と言っても、相手の時間を消耗させるだけだ。その場でさっと答えた方が迷惑をかけない。

送別会の寄せ書きなども、渡されたらその場で書ききるようにしている。幹事さんの負担を少しでも減らしたい。

 

でもときどき「あ、これは今降りてこないな」と感じ、誰にも迷惑をかけないと思ったことに関しては『神様にお預けタイム』をとることがある。

といってもそんなに長くはない。一晩くらいだ。

ぐーっとそのことばかり考えるのではなく、いったん離れることでふかんしたアイデアが降ってくることがある。

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のんびりしているように見えて、頭の中では色々考えているのだ・・・

そもそも私が文化祭への出品に消極的だったのは、わざわざ金沢に帰って見ることができないかもしれないからだ。

母には「私は見られないかもしれないから、会場の雰囲気だけでも写真に撮っておいてね」と言ってあった。そのとき母は「うん、わかったよ。私が代表して見に行くよ」言っていた。

 

しかしだ。提出を終えて、さぁ寝るかという段階になって「ねぇねぇ。文化祭って、みんなでワイワイ見に行くものじゃない?私一人で行くっておかしいよねぇ」と言うではないか。

 

やられた!

 

結局、私と一緒に行きたいだけじゃないか。

何が「文化祭とは、みんなでワイワイ見に行くもの」だ。

いきなりそれっぽい定説をぶちかましてくるなんて、ずるすぎる!

「ずるい、ずるい、ずるいー!」と私が叫ぶ。

母がきまり悪そうに、「へへへ」と笑う。

そんなことをしているとおかしさが込み上げてきて、2人で腹筋が崩壊するほど笑い転げた。

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ずるい!この人にやられた!!

こうして私はいつも母と行動を共にしているため「仲良し親子」と言われることが多い。否定はしないが、母は友達がいないから、私が遊んであげるしかないのも事実だ。

「仲良し」というよりは、私に叱られながらもニヤニヤと私のそばにいるおかん、という表現がしっくりくる。

発信しない「しあわせ」

しあわせが全身から溢れていた。

 

2年ぶりに会った彼女は1児のママになり、大きな個展を開催し、笑顔で私を迎えてくれた。

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中 乃波木(なか のはぎ)ちゃん。

仕事を通して2年前に知り合った尊敬すべき友人だ。

今回「読む写真展」という新しい試みに挑戦していた。

彼女が書いた小説の世界を写真でも見せていく、というものだった。

 

会場では年下の旦那様が、心から楽しそうに彼女をサポートしていた。

写真と文章のほかに、可愛らしい絵も散りばめられていた。

 

「あの絵はどなたが描いたんですか?」と聞くと、「あれは乃波木さんが描いたんですよ。可愛いですよね」と答えてくれた。

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妻を「さん」付けで呼ぶ彼も、若くして画家として成功を収めている逸材だ。

彼女を尊敬し、愛していることがその一言から伝わった。

 

乃波木ちゃんはSNSで個展をPRしていた。

SNSにはちらりと会場の様子が写っていたのだが、それを見たときからとんでもない規模の個展だとわかった。内容も濃いし、展示もプロが携わっていると一目でわかった。

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「出産を終えたばかりで、どうしてここまでのことが出来たの・・・?」

私は聞きたかったことをまっすぐ彼女にぶつけてみた。

 

「話がきたときは、出産したばかりでそれどころじゃないし断ろうと思っていたの。でも彼の(旦那様の)『できるよ』という一言に後押しされてやろうと思えたの。早々に『私は無理、おまかせする!』というスタンスを見せておけば、まわりが動いてくれるのよ」そう言って乃波木ちゃんは笑った。

 

実際に写真の選定や展示は、画家である旦那さんが仕切ったそうだ。

イラストのパネルは、彼女が渡した素材をもとに学芸員が色々作ってくれたのだという。

うるさいことを言わずにまかせておくことで、まわりが生き生きと動いてくれたそうだ。

「つまり乃波木ちゃんは『素材』を提出したということ?」

「そうそう。私は素材係!」

 

もちろん素材(作品)が一番大切だ。素材の力があってこその個展だ。

でも個展を開催するには、「見せ方」という別の一面も重要になってくる。

どの写真を選ぶか、どんな風に展示するか、どこに何を配置するか、動線をどうするか。

料理の仕方次第で、素材は輝くこともあれば逆に輝きを失うこともある。

 

「素材」×「展示」=個展 

個展の成功には、作品を作るまっすぐなライオンの目と、作品を見せる視野が広いシマウマの目。両方の目が必要なのだ。素材展示。私の持論ではくらいの比重だと思っている。その4の部分を信頼出来る人にまかせられるというのは大きい。

 

会場では1歳になる息子さんが、愛想よく来場者を迎えていた。

「毎日幸せなの。幸せすぎて、もう誰にも幸せと言わなくてもいいの」

乃波木ちゃんがやわらかい笑顔でそう話す。

 

確かに彼女のSNSには、必要最低限の告知しかされていない。

「子育てでこんなことがあった」「旦那さんがこんなことをしてくれた」

そんな書き込みは一切見られない。

 

幸せと発信しなくていいほどの幸せ―

 

シンプルだけれど重すぎる言葉に、私は圧倒された。

今の時代、これはある意味すごいことだ。

誰かに報告するための幸せではなく、自分の中で噛み締める幸せ。

 

「旦那さんから花束をプレゼントされた」「彼にやさしい言葉をかけてもらった」

そう発信する人ほど、実はさみしいのかもしれない。

 

SNSだけ妙に華やかな人っている。

蓋を開けたら、心はぼろぼろだという知人や芸能人も確かにいる。

きっと誰かに「すごいね」って言ってもらいたくて、過度に発信してしまうのだろう。

 

乃波木ちゃんの個展は、能登で育った彼女ならではの視点で溢れていた。

文章が書けて、写真が撮れて、絵まで描けてしまう。

そのどれもがすごすぎるレベルで、彼女の表現したいことを形作っている。

すごいね、乃波木ちゃん。

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愛に包まれた世界、会場で見たい人はぜひ。会期終了が迫っています。今週末にでも!

 

野々市市市制施行10周年記念「中 乃波木 読む写真展-い~じ~大波小波の世界-」

学びの杜ののいちカレード 

10月19日(火)まで 9:00~19:00 水曜休館 入場無料 

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この個展、マッキ―がSNSで見つけてくれたのです

 

鉄は熱いうちに打て

昼寝から起きて携帯を見ると、友人からLINEが入っていた。

「今日はどうや?」と。

実は3日前の秋分の日にも「お茶かランチでもいかが?」と誘われていたのだが、その日は高岡大仏の取材や選挙の取材などに邁進していて、断っていたのだ。

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9月23日(木・祝)
高岡大仏 秋の全国交通安全運動に合わせて9月30日までたすきがけ

「今日はどうや?」というのは、「今日は遊べる?」という意味だ。

LINEが届いたのは午後1時ごろ。ちょうどむにょむにょと眠りに落ちた頃だった。

 

午後3時半、私はすぐにLINEを打ち返した。

「やばい!いま昼寝から起きた」「どうしよ」「なんとでもなる」「ちょうど寝落ちした時間やった」と。

すぐに返事が返ってきた。

「お疲れだったんだよ!」「今外散歩中」「海に行こうと思ってた」「行く?」と。

 

私は寝起きのどすっぴんだったが、にんにく醤油まぜそばをまだ食べていないことだけが救いだった。きょうは誰にも会う予定がないので「昼寝から起きたら、茹でて食べよう」と思っていたのだ。袋には「にんにくをガツンと利かせた、パンチのある濃厚醤油味」と書かれている。良かった、食べる前で。良かった、臭くなる前で。

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これを食べていたら、彼女の車に乗れなかった・・・

午後4時。久しぶりに彼女と会い、波打ち際に新聞紙とバスタオルを敷いて近況報告をし合った。途中で顔に雨粒が当たったので、早々に海時間を切り上げてそば店に入った。ざるそば中盛り(300g)と揚げたてのかき揚げを注文する。

「おいしい、ここおいしいね」「うちら、ごはんはハズさないよね」などと言いながらら、ずるずるすする。粉っぽさがない細いそばで、私の好みだった。ネギとワサビをたっぷり入れたつゆに浸して食べる。今度はごまくるみダレそばも食べてみたい。

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16:30 岩瀬浜海水浴場

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入りやすいお店だった 信州そば 小木曽製粉所

 

きょう彼女と話していて、私が強く主張したのは「鉄は熱いうちに打て」ということ。

女性は自分に自信がなくて「準備」の時間を欲するときがある。彼女もそのタイプだ。でも、「完璧な自分を追い求めて準備しているうちに、タイミングを逃すことがある」と、最近すごく思うのだ。

 

彼女は面白いことを言った。「なかっちゃん(私のこと)は、ごちゃごちゃした部屋でも私を入れてくれたよね」「なかっちゃんは、昼寝から飛び起きてでも私に会いに来てくれるんだね」「それでいいんだと思った」と。

 

そう。そうなのだ。何より大事なのは、相手が求めている「今」応じることなのだ。

 

仕事なんか特にそうだ。勉強不足であろうが準備不足であろうが、ニュースが動いてる今、時間内に処理しなければならない。完璧を求めて遅れるより、そこそこでも時間内に収めることの方が重要になってくる。

 

人間関係も同じだと思う。「会いたい」と言われたときに時間を作らなくては、どんどん縁遠くなっていく。きれいにメイクをしておしゃれをして来週時間を作るより、きょう飛び起きて30分後に時間を作る方が誠意が伝わる。別に女友達だからといって、手を抜いているわけでもない。それが男性であっても恋人であっても同じだ。

 

部屋が汚くても「どうぞ」と招き入れ、自分の髪形やメイクがいまいち決まっていなくてもニコニコとデートに向かい、ダイエットがまったく追いついていなくとも潔く裸になって愉しむ。LINEも見たらすぐに返信する。つまらない駆け引きは一切しないし、それで失敗したと思うこともない。いわゆる女子力の高さは、男子は意外と求めていない。

 

ことわざって「そうだよね~。そうそうその通り!」と思う格言がいっぱいあるけど、「鉄は熱いうちに打て」は、中でもとりわけ私の心をつかむことわざだ。

 

熱くてぐにゃりと曲がりそうな鉄が、私には見える。

今、失敗してもいいからそこを打ちたい。粗削りでもいいから、挑戦すべきだ。

準備に時間をかけすぎてカチカチに冷えてしまったら、手の施しようがない。

痴女ピエロ

メガネの写真が送られてきた。変わったフォルム。繊細なデザイン。
「きょうは眼鏡を変え、ささやかな気分転換です」とある。
ときどき連絡を取り合う男性からのLINEだ。

 

「本当はかけてる写真が欲しいですが。

まあ私と違って、ご自身の写真を送りつけたりはされないですもんね…」と返す。
「かけた写真を送るのは、気恥ずかしいので。今度見せるよ」
「気恥ずかしい」というワードが、彼の人柄を表している。

 

10年ほど前からの友人だが、私は彼の写真を1枚も持っていない。

一緒に撮ったこともない。


「本当は1枚くらい写真欲しいですけどね」と言ってみる。
「僕の写真1枚も持っていませんでしたっけ?僕はナカダさんの水着の写真も持ってますけどね」と言われ、腰を抜かしそうになる。

 

!!!


驚いた。そうだったっけ?

私はその人と一緒に海やプールに行ったわけではない。
その人が私の水着姿を撮影したわけでもない。
思い当たることとすれば・・・


7年前、女友達と行った海外旅行。
ベトナムのリゾート地・ダナンのプールで撮った写真を、私から彼に送りつけた記憶が蘇る。

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これは体のラインが見えない写真だが、見えるやつを送信した…自首…

私は自分の行動に絶句した。


「そんなもの送ってましたか…。すっかり忘れていましたが、送ったかもしれない。
ええ、送りましたね…。すいません、本当にすいません」

「どうしてすいませんなの?」その人は私が謝る姿を不思議そうに見つめていた。

 

きっとあのときはダナンの美しいプールにテンションが上がっていたのだ。

白と紺のボーダーの水着だ。間違いない。
どんなポーズのカットだろう。
自分のしたこととは言え、恐ろしすぎて細かく聞けない。
彼氏でもない男性に、どうしてそんな図々しいことをしてしまったんだろう。

頼まれてもいないのに。望まれてもいないのに。「水着写真送って」と、冗談でも言われていないのに。
まるで、大バカ者のピエロではないか。

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2014年8月 ベトナム・ダナン

家に帰ってゆっくり考えてみた。
そうして、自分と向き合い反省文をしたためた。

 

「写真を送るのは、たぶん自信のなさの表れです…。
忘れられたくなくて、思い出してほしくて、そうしてるんです。
テレビ人間の安易なやりかたをお許しください」

 

テレビの世界にいると、「強い絵」を使いたくなる。
インパクトのある絵を、見せつける癖がついている。

 

水着姿ではないが、今でも写真を送ってしまう。
こんな場所に来た、こんなことをしている、こんなものを食べている…と。
頼まれてもいないのに、ちゃべちゃべと。(金沢弁で出しゃばってという意)

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最近の送り付け・・・

自己顕示欲の塊だ。自分でもわかっている。
まわりの人間も私をそう見ている。わかっている。わかっている。
もう、やめよう。本当に、やめよう。
私のことなど何とも思っていない人に、どうしてそんなことができたのか。
哀れな痴女ピエロを、いよいよ卒業せねば―。

 

そう思っていた矢先、ピコンとLINEがなった。

「忘れないし、思っています。安心して。安易とか許してとか、そんな言い方はおかしいです。写真を送ってくれるのは、嬉しいです。送りつけられてる、なんて露ほども思ってないよ」

今しがたまで、火渡りの荒行に出ようかと思うくらい反省していたのに、
思いがけぬ優しい返信に、はらはらと心が溶けていく。

 

ピコン 再びラインがなった。


「帰りの車内で撮ってみました。難しい」

そこには自撮りとは無縁な人の、自撮り写真が添付されていた。

慣れない表情の瞳がこちらを見ている。

私は息が止まるほど驚いた。

 

何たる歩み寄り。

「私のために慣れないことをしてくださり、何よりその気持ちがうれしいです。」

 

いま、何も欠けているものがない。藤原道長の唄を思い出す。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」

 

奇しくも翌日は中秋の名月だ。

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大学時代の記憶

段ボールの整理をしていたら、懐かしい写真が出てきた。

1997年 日本大学芸術学部 所沢キャンパスでの一枚だ。

写真学科のユウゴくんが撮影し、A4サイズ・モノクロでプリントしてくれたものだ。

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あのときは「私が写ってる、ありがとう」くらいにしか思わなかったけれど、10年近く写真を学んできた今、この何気ない一枚がいかに上手いかがわかる。

 

奥行きのある構図、さっと撮ったものにも関わらず、水平・垂直がきっちりとれていて、被写体の私にも動きがある。

声をかけられて振り返ったら、カメラを構えたユウゴくんがいたんだっけ・・・?

撮られたことは覚えているが、詳細が思い出せない。

 

ユウゴくんとの出会いは、大学に入ったばかりの4月。一般教養の授業だった。

私は「お隣いいですか?」と、ユウゴくんの隣に座った。

ユウゴくんはとてもきれいな顔をしていた。

いかにも「モテます!」というような感じではなく、自分の恵まれたルックスについて全く無自覚な、そんなタイプの男の子だった。チューリップハットに無地のTシャツ、かばんはリュック。服装もこだわりがない風に見えた。

 

授業が終わった後、彼は新宿に写真展を見に行くと言った。

4月。友達を作りたいなと思っていた私は「一緒に行ってもいい?」と、ユウゴくんと西武新宿線に乗った。

 

電車の中で、彼はずっと小説の話をしていた。彼の声は電車の音にかき消され、4割くらいは聞き取れなかったのだけれど、私はずっと目を見て「うん、うん」と頷いていた。「えっ?何て言った?」と聞き直すより、ある程度聞こえなくても、彼に気持ちよくしゃべってもらう方が大事だと思ったから。

 

受験勉強しかしてこなかった私は、高校時代に本を読む習慣がなかった。そんなことをしている時間があったら、1つでも多くの英単語を覚え、1つでも多くの問題を解くことが重要だった。でも日大の高校から推薦であがってきたというユウゴくんは、多感な時期にたくさん読書をしてきたようだった。

 

彼が話題にした本「檸檬」と「布団」というタイトルだけ覚えている。ユウゴくんは「布団」は、本当にどうしようもない話なんだけど・・・と、いうようなことを笑いながら言っていた。

 

田山花袋の「布団」。物書きの主人公が女弟子に恋をし、寝巻きの匂いを嗅ぐというようなセンセーショナルな内容で、私小説の出発点ともされる作品だ。

 

新宿に到着し、私たちは2つの写真展をハシゴした。都会育ちの彼はごちゃごちゃとした新宿の街を難なく歩き、迷わず会場に誘ってくれた。1つ目に見た写真展の方が良かったね、という点で一致したことを覚えている。

 

ユウゴくんは写真学科、私は放送学科。学科も所属するサークルも違ったから、その後それほど親しくはならなかったけれど、食堂で会ったりするとちょこちょこ話した。

 

友人に誘われて、彼が所属する音楽サークルのライブに行ったとき、彼は何か楽器を演奏していたように思う。ライブ後、出演者がお客さんを見送る時、私の顔を見つけたユウゴくんは「早く帰りなさい」とふざけ半分に言い、私の頭をポンとしてきた。

 

「見に来てくれてありがとう」ではなく、「早く帰りなさい」

 

一緒にいた友達は「親しいね、アヤちゃんのこと好きなんじゃない?」と茶化し、私は「そんなことないと思うけど・・・」と少し照れた。

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ユウゴ君はいま、何をしているんだろうと思う。本名を覚えているから、検索してみることもある。でも驚くほどヒットしない。インターネット上のどこにも…。彼の名前とともに「写真」とか、思いつくワードを入れても、まったく出てこない。もはや私の本名の記憶が間違っているのだろうか、と思うほどに彼を見つけられないのだ。

 

自己顕示欲がない彼は、今でもSNSなどに縛られずに、マイペースに生きているのだろうか。思い出がきれいすぎることが、逆に居心地悪い。幻滅するようなことになってもいいから、私は今のユウゴくんに会いたい―

M氏の聴診器

M氏が支局で3人で使っているものを失くしたという。

 

変な嘘や誤魔化しもなく、正直に「失くしました」というので「わかった、探そう」と腹をくくる。

 

それはラミネートされた1枚の紙だった。

 

私は「それを最後に見たのはいつか?」「その後どんな行動をとったのか?」などと聞き取り調査を行い、M氏とともに車の中、リュックの中、支局の机、新聞の間、思いつく限りを探しに探した。

 

うっかり家に持ち帰ったのではないか?と、昼休みは家に帰ってもらい探させた。

 

モノを失くすと気持ちがざわつく。それは一刻も早く報告しないとダメというものではなく、「まぁ、なければ3人が困るよね」というものだった。

 

私は「とりあえず1週間は3人でアンテナをたてて探そう。だいたい失くしものというのは、ひょっこりどこかから出てくるものだ。あまりに早い段階で、ない!ない!!と騒ぐ必要はない。1週間経っても出てこなかったら、私が責任を持ってしかるべきところへ報告をする」と告げた。

 

というわけで、責任をとらなければいけない私は、全力で探し物を始めた。仕事の手を止め、想像力を働かせてあちこちあたった。

 

しかし、当のM氏はわりと楽観的なのだ。「あんまり根詰めても仕方ないんで、ちょっとコーヒーブレイクします」などと言って、探し物中にコーヒーを淹れに行ったり、「こんなの出てきましたが、いります?」と、探し物中に見つけた変なものが必要かと私に聞いてくる。

 

これがM氏がM氏たるゆえんなのだ。昔はイライラして叱った気もするが、私もずいぶん大人になり「こういうのんびりしたところがM氏の長所なんだよなぁ・・・」と思えるようになった。

 

さて、探し物中に出てきた変なものの中で、私の度肝をぬいたのが「聴診器」だった。

 

M氏は聴診器を見せながら、「いります?」と問うてきた。

 

気が立っている私は「は!?聴診器!?何それ、いるわけないやろ」と、一度はばっさり断ったにも関わらず、どうしても無視しきれなかった。

 

なぜ仕事場に聴診器があるのかー。

 

そしていらんと言ったわりに、もしかしたら私は欲しいかもしれないのだ。

「お医者さんごっことかしたら燃えるかも」という、あさましい思いが脳裏をかすめる。

 

私は平然とした顔で「やっぱり欲しいかも。もしかしたらリポートの小道具として面白く使えるかもしれんし」と言い、聴診器をものにした。

そして恐る恐る、「何のために買ったん?」と聞いた。

 

M氏はひょうひょうと答えた。「はい!壁耳に役立つかと思いまして」と。

 

は!?壁耳??

 

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今はほとんど見かけなくなった壁耳。

デジタル大辞林によると「壁耳とは:会合などの取材に参加を認められていない記者が室外に漏れ聞こえてくる音をもとに記事を作成すること。壁などに耳や録音機材を押し当てて、中の様子をうかがうところからの名」とある。

 

取材現場で壁に聴診器をあてている記者を想像してみる。

もう、ホラーの域だ。

 

M氏はいつも「誰かの役に立ちたい」と、いろいろと変なものを買うくせがある。

しかし、これまで「Mさん、聴診器なんてあるんですかぁ。ぜひ使わせてほしいです!壁耳に役立ちました~。Mさんのおかげです」などという記者はおらず、無用の長物と成り下がっているようだった。もう本人もいらないという。

 

あまりに面白かったので、私は知り合いの記者に「M氏の聴診器」の話をとうとうと語った。それは誰に語ってもバカウケで、特に「その理由が壁耳」というところで大爆笑をかっさらった。

 

私は売れっ子落語家になった気分で「M氏の聴診器」の話を十八番にした。

 

さて、ラミネート紛失から6日目。「あすで1週間だ、もういよいよ責任を取りにいかなければならない」と思っている矢先、朝会社に行くとM氏が私を見つめ「ありました」と言うではないか。

 

私は飛び上がって喜んだ。そして「そんな大事なこと早く言わんかいね!いつ見つかったんや?」と聞いた。M氏は「さっきです。ダイレクト(LINEのような連絡網)にも書きました」と言っている。

 

おもむろにダイレクトを見てみる。「発見しました。読んでいた本のしおりとなっていました。お騒がせしました」という文章とともに、発見されたブツの写真が添付されていた。

 

私は頭が痺れるほどうれしかった。そして思わず鼻歌が出た。

M氏が「その曲なんですか?」と聞いてくる。

「わからん!今、とっさに思いついたメロディーや。もう二度と歌えんわ」

 

私は「なくしものは本のしおりに」という新たなエピソードを披露し、これも大いにウケている。一流の記者から「あのラミネートがしおりに…。いいですね。独特の味わいです」などというメッセージが寄せられている。

 

M氏はM氏の知らぬところで、結構、人気者になっている。

 

メモ:紛失9月6日(火) 発見9月13日(月)

美しき下着たち

女性の下着って、改めて見るとなんて技巧が凝らされた美しいものなんだろう。
レースがふんだんに使われていて、色やデザインもとても凝っていて、
胸元やショーツに揺れるチャームがついているものまである。


きれいだ・・・夢がある・・・芸術品だ・・・。
下着売り場を歩くと、まるで花畑に迷い込んだかのような錯覚に陥る。

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こんな素敵な場所ならば、ちょくちょく来ればよかった。
でも、下着売り場に行くまではなぜか億劫で、足を運びにくいのは私だけだろうか。


いまつけているものたちは数年前に買ったものだ。
ブラとショーツをセットで7組まとめ買いした。1週間で1セットまわるようにと。

あのときは「これからも毎年、7セットずつ買って入れ替えていこう」と思っていたのに、「まだ全然いけるな、まだまだ使えるわ。さすが手洗いの威力、全然傷んでない」などと言いながら、私は使いに使い込み、買いに行かなきゃ買いに行かなきゃと思いつつ、購入を先延ばしにしてきた。

 

ときおりへっちゃらで、彼のパンツもはいていた。
彼はぴたっとフィットしなくなったら「はい、アヤちゃんのブルマ用」と言って、履き古したボクサーパンツをくれた。

冷え性の私は彼に言われた通り、自分の下着の上にボクサーパンツを重ねてはいていた。これで腰や腹が冷える心配はない。
なんなら、直におさがりのボクサーパンツをはいて過ごす日もあった。


洗濯物に男物のボクサーパンツを見つけた母が「これは何か?」と問うてきた。
「ああ、彼のおさがり。私のブルマ―だよ」と答える。ひとつも嘘はない。

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そんな私がなぜ意を決して下着売り場を訪れたのか。
それは下着ショップのインスタに「モバイルクーポン利用で20%オフ」と書かれていたからだ。
期間は9月11日(土)から17日(金)までと割と短い。

これはすぐさま行かねばならぬ。


私が愛するワコールの下着は、まあまあいい値段がする。
今回の20%オフイベントに乗じて、これまでの数年間分を取り戻すかのように買い込もう。日曜日。私は重い腰をあげ、下着売り場が入っているショッピングセンターを目指した。


久しぶりに訪れた下着売り場は、本当に華やかだった。
若くてかわいい店員さんは、トップ、アンダー、そしてウエストとヒップも測っておきますねと採寸してくれた。


下着は似合う、似合わないというよりは、思いきり気持ちが上がるものを買っていいアイテムな気がする。パープル、オレンジ、イエロー、ブルー・・・わたしは色とりどりのブラを選び試着した。
そのたびに店員さんが試着室に来てくれ「前にかがんでください」とうながし、私のバストをきれいにブラジャーの中に入れてくれた。

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店員さんにつけてもらうと谷間ができた。どうしてこんなに上手なんだろう。
「わきの胸の下側からぐいっと全部持ってくるんです。全部です、全部。
ワイヤーの位置はバストのすぐ下で合わせてください。みなさんこの位置が低いことが多いんです」

私は店員さんが教えてくれるコツを「ほぉ。ほぉ・・・」と聞きながら、毎朝、この人が私の家に来て下着をつけてくれたらいいのに、と思った。
ブラウスの上から見る店員さんの胸も、とてもきれいだった。


帰宅した私は、購入したばかりの下着たちを並べて悦に入った。

まるで宝石を眺めるように、それらを愛でた。
美容院や下着売り場で、自分の体を丁寧に扱われた日は、もう少し女性であることを楽しんでみようかと思う。

 

と言いながら、今、私が風呂上りに身に着けたのは、彼のおさがりのボクサーパンツに、GUのブラトップだ。あとは寝るだけの夜は、これで十分なのだ。

宝の持ち腐れとはこのことか。
「これらは大事なときにとっておいて・・・」という貧乏根性が、私の下着偏差値を格下げている。

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