M氏の聴診器
M氏が支局で3人で使っているものを失くしたという。
変な嘘や誤魔化しもなく、正直に「失くしました」というので「わかった、探そう」と腹をくくる。
それはラミネートされた1枚の紙だった。
私は「それを最後に見たのはいつか?」「その後どんな行動をとったのか?」などと聞き取り調査を行い、M氏とともに車の中、リュックの中、支局の机、新聞の間、思いつく限りを探しに探した。
うっかり家に持ち帰ったのではないか?と、昼休みは家に帰ってもらい探させた。
モノを失くすと気持ちがざわつく。それは一刻も早く報告しないとダメというものではなく、「まぁ、なければ3人が困るよね」というものだった。
私は「とりあえず1週間は3人でアンテナをたてて探そう。だいたい失くしものというのは、ひょっこりどこかから出てくるものだ。あまりに早い段階で、ない!ない!!と騒ぐ必要はない。1週間経っても出てこなかったら、私が責任を持ってしかるべきところへ報告をする」と告げた。
というわけで、責任をとらなければいけない私は、全力で探し物を始めた。仕事の手を止め、想像力を働かせてあちこちあたった。
しかし、当のM氏はわりと楽観的なのだ。「あんまり根詰めても仕方ないんで、ちょっとコーヒーブレイクします」などと言って、探し物中にコーヒーを淹れに行ったり、「こんなの出てきましたが、いります?」と、探し物中に見つけた変なものが必要かと私に聞いてくる。
これがM氏がM氏たるゆえんなのだ。昔はイライラして叱った気もするが、私もずいぶん大人になり「こういうのんびりしたところがM氏の長所なんだよなぁ・・・」と思えるようになった。
さて、探し物中に出てきた変なものの中で、私の度肝をぬいたのが「聴診器」だった。
M氏は聴診器を見せながら、「いります?」と問うてきた。
気が立っている私は「は!?聴診器!?何それ、いるわけないやろ」と、一度はばっさり断ったにも関わらず、どうしても無視しきれなかった。
なぜ仕事場に聴診器があるのかー。
そしていらんと言ったわりに、もしかしたら私は欲しいかもしれないのだ。
「お医者さんごっことかしたら燃えるかも」という、あさましい思いが脳裏をかすめる。
私は平然とした顔で「やっぱり欲しいかも。もしかしたらリポートの小道具として面白く使えるかもしれんし」と言い、聴診器をものにした。
そして恐る恐る、「何のために買ったん?」と聞いた。
M氏はひょうひょうと答えた。「はい!壁耳に役立つかと思いまして」と。
は!?壁耳??
今はほとんど見かけなくなった壁耳。
デジタル大辞林によると「壁耳とは:会合などの取材に参加を認められていない記者が室外に漏れ聞こえてくる音をもとに記事を作成すること。壁などに耳や録音機材を押し当てて、中の様子をうかがうところからの名」とある。
取材現場で壁に聴診器をあてている記者を想像してみる。
もう、ホラーの域だ。
M氏はいつも「誰かの役に立ちたい」と、いろいろと変なものを買うくせがある。
しかし、これまで「Mさん、聴診器なんてあるんですかぁ。ぜひ使わせてほしいです!壁耳に役立ちました~。Mさんのおかげです」などという記者はおらず、無用の長物と成り下がっているようだった。もう本人もいらないという。
あまりに面白かったので、私は知り合いの記者に「M氏の聴診器」の話をとうとうと語った。それは誰に語ってもバカウケで、特に「その理由が壁耳」というところで大爆笑をかっさらった。
私は売れっ子落語家になった気分で「M氏の聴診器」の話を十八番にした。
さて、ラミネート紛失から6日目。「あすで1週間だ、もういよいよ責任を取りにいかなければならない」と思っている矢先、朝会社に行くとM氏が私を見つめ「ありました」と言うではないか。
私は飛び上がって喜んだ。そして「そんな大事なこと早く言わんかいね!いつ見つかったんや?」と聞いた。M氏は「さっきです。ダイレクト(LINEのような連絡網)にも書きました」と言っている。
おもむろにダイレクトを見てみる。「発見しました。読んでいた本のしおりとなっていました。お騒がせしました」という文章とともに、発見されたブツの写真が添付されていた。
私は頭が痺れるほどうれしかった。そして思わず鼻歌が出た。
M氏が「その曲なんですか?」と聞いてくる。
「わからん!今、とっさに思いついたメロディーや。もう二度と歌えんわ」
私は「なくしものは本のしおりに」という新たなエピソードを披露し、これも大いにウケている。一流の記者から「あのラミネートがしおりに…。いいですね。独特の味わいです」などというメッセージが寄せられている。
M氏はM氏の知らぬところで、結構、人気者になっている。
メモ:紛失9月6日(火) 発見9月13日(月)