寝ているときも考え中
母が「あの件どうなった?」と、私が考え中のことについて催促してきた。
私は「あぁん、もうっ!今、考えているところや。おかんにはわからんかもしれんけど、私はこうして歩いているときも、寝ているときも、考えを巡らせているんだから。いちいち聞いてこないで」と言った。
母は「ほぉ~。すごいね、あんたは。歩いているときも、寝ているときも考えているのか。さっすがやね~!違うね~!!ぐふふ。アヤはこうして歩いとるときも考えとるやて~」と、私が歩いている様子を再現し、大げさに驚いてみせた。
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別にたいしたことを考えているわけではない。地元公民館の文化祭に提出する写真のタイトルをどうするか?と、考えていただけだ。そもそも私は提出に消極的だった。しかし母が「私は手作りのエプロンを提出するから、あんたも写真出さんけ?」とうるさいので、さっき提出する作品を選んだばかりなのだ。
私は写真を2枚出すことにした。1枚目のタイトルはさくっと決まったのだが、もう1枚のタイトルがすぐには降りてこなかった。私は「おやつを食べたり、昼寝をしたりしている間に浮かぶだろう…」と思い、いったん『神様にお預けタイム』を取って、くつろいでいた。そんな折に「タイトルどうするん?」と急かされたのだ。
そもそも締め切りまではまだ時間があるし、私が出品するので母の手を煩わせることはない。さっき「そんなに言うなら出品してみるか…」と決心し写真を選んだばかりなのに、「タイトル決まった?ねぇ、何になった??」とは、なんともせわしない。
私は相手があることは、即断即決する。「行く」「行かない」「する」「しない」
「考えさせて」と言っても、相手の時間を消耗させるだけだ。その場でさっと答えた方が迷惑をかけない。
送別会の寄せ書きなども、渡されたらその場で書ききるようにしている。幹事さんの負担を少しでも減らしたい。
でもときどき「あ、これは今降りてこないな」と感じ、誰にも迷惑をかけないと思ったことに関しては『神様にお預けタイム』をとることがある。
といってもそんなに長くはない。一晩くらいだ。
ぐーっとそのことばかり考えるのではなく、いったん離れることでふかんしたアイデアが降ってくることがある。
そもそも私が文化祭への出品に消極的だったのは、わざわざ金沢に帰って見ることができないかもしれないからだ。
母には「私は見られないかもしれないから、会場の雰囲気だけでも写真に撮っておいてね」と言ってあった。そのとき母は「うん、わかったよ。私が代表して見に行くよ」言っていた。
しかしだ。提出を終えて、さぁ寝るかという段階になって「ねぇねぇ。文化祭って、みんなでワイワイ見に行くものじゃない?私一人で行くっておかしいよねぇ」と言うではないか。
やられた!
結局、私と一緒に行きたいだけじゃないか。
何が「文化祭とは、みんなでワイワイ見に行くもの」だ。
いきなりそれっぽい定説をぶちかましてくるなんて、ずるすぎる!
「ずるい、ずるい、ずるいー!」と私が叫ぶ。
母がきまり悪そうに、「へへへ」と笑う。
そんなことをしているとおかしさが込み上げてきて、2人で腹筋が崩壊するほど笑い転げた。
こうして私はいつも母と行動を共にしているため「仲良し親子」と言われることが多い。否定はしないが、母は友達がいないから、私が遊んであげるしかないのも事実だ。
「仲良し」というよりは、私に叱られながらもニヤニヤと私のそばにいるおかん、という表現がしっくりくる。