仕方なく生きていた
「私この頃、仕方なく生きていたんだわ」
古いアルバムを見ながら私が何気なく放った一言が、母と妹の間で物議を呼んでいる。
あるエッセイコンクールに応募してみようと、私は家族の過去について母に取材をしていた。妹もそれに乗っかり、古い写真を送ってくれた。2人の協力を得ながら、私はエッセイを書き進めていた。
過去の写真。23で私を産んだ母は若く、女優のように美しかった。着ているものもおしゃれだ。言い過ぎかもしれないが、長谷川京子に見える写真もある。子ども(私)と一緒に写っているのに、母に目が行ってしまう。
妹もかわいい洋服を着せられポーズを決めたり、ペンギンの水着を着てバンザイをしたりとイキイキしている。それに比べ、私はつまらなそうに、まさに仕方なく写真に収まっている。
「うん。私このころ、仕方なく生きていた」
母は「えっ!?大人になってからならともかく、幼児がそんなこと思うの?幼児なのに!?」と、今更ながら驚いていた。
そう。幼児でもしっかりと魂がある。
あのころしぶしぶ生きていた気持ちを、私ははっきりと思い出す。
なんというか・・・自分の顔が嫌いだったのだ。
昭和丸出しのこけし顔。こんな自分がかわいい服を着せられようが、お遊戯をしようが、お歌を歌おうが、全然かわいくないことを自覚していたのだ。
実際に私は自宅の鏡の前で、自分の顔をビンタしていたという。
「きらい、きらい。あやちゃん、このお顔きらい」と言いながら。
自分の顔を叩きつける幼児。自分の過去ながら、闇の深さを慮る。
「変わり者だから心配だった。困ったもんだと思っていた」と、母は当時を振り返る。
複数の証言をとりたいと、私は祖母にも電話取材をかけた。
「私、小さいころ自分の顔が嫌いやったんやけど、知っとる?」と。祖母は即答した。
「ほうや!自分の顔が嫌いや言うて、鼻つまんだり、顔叩いとったんなかったかな~。『ほんなことない。かわいいぞ』と言うても、そんなん聞かん。自分で可愛くないと思いこんどるさけ」という。
今思えば、我ながら面白いエピソードだ。
でも自分の顔が嫌いだなぁと思いながら生きる幼児時代は、なんかどうしようもない時間だった。
保育園に行くと、あんな顔に生まれたかったなぁと思う子がいた。
西洋風な顔つきで、何をしても可愛かった。
その中の一人えっちゃんは「ちょっと待って」などと言うときに「ちょん待って」というのが口癖だった。「ちょっと」を「ちょん」と言い換える可愛さ。
私はその言葉遣いにさえ猛烈に憧れ、家に帰ってから「ちょっと食べたい」を「ちょん食べたい」「ちょっと痛い」を「ちょん痛い」などと言ってみた。
すると「ちょんって何!?さっきからちょん、ちょん、ちょん、ちょんって!そんな言葉はありません。ちょっとでしょ。ちょっと」と、当時は怖かった母に叱られしゅんとした。
私には「ちょん」という資格さえないのだ。
こんな顔だから。昭和のこけし顔だから―。
幼いながら、自分が可愛いと自覚している女の子っている。
実際、姪っ子もキュートだ。幼いながら女子であることを十分に認識し、ファッションにもこだわりがある。
水玉エプロンに大きなリボンをつけてもらい、ポーズをとってぶりぶりと生きている。
可愛いなぁと思いながら、心の奥底で「ふんっ!」と思う気持ちも拭い去れない。
こけしの嫉妬心は深い。