ネギ泥棒に告ぐ。
野菜をもらいに実家に寄った。今の季節は特にネギが美味しいらしい。
土がついたネギを新聞紙に包んでいると、祖母が「そういえば、お父さんがネギ泥棒の看板を立てとったよ」という。
えっ?ネギ泥棒の看板!?何のことだ??
見る前からネタの匂いがする。
「どこどこ?」
「うちの裏の畑や。長靴履いて見てくるまっし」
「うん!」
私はすぐさま家の裏にまわり、父が立てたという看板を見に行った。
そして一目見た瞬間、あまりの衝撃に畑の真ん中で大爆笑をぶちかました。
「何やこれーーー!!!」
「ネギ泥棒に告ぐ。今回で3度目。警察へ通報済み。再度盗み犯すな。(家庭菜園耕作者)」
最初は「ネギ泥棒へ」と書いてあるのだが、わざわざ2本の横棒で消して「ネギ泥棒に告ぐ。」と、書き直しているところにも父のこだわりを感じる。書き直しの跡はそのまま看板に残されている。
「再度盗み犯すな」という警告文も、かなりパンチがある。
「家庭菜園耕作者」という署名もなかなかのセンスだ。普通はこんなとき何と署名するんだろう。もはや正解すらわからない。
私は父に「なぜ『告ぐ。』に直したのか?」と問うてみた。
だいたい想像はつくのだが、本人の口から聞いてみたい。
「おう。『へ』やと優しすぎるやろ。泥棒様に手紙でも書いとるみたいでおかしいやろ。込み上げる怒りを伝えんなん。ほんで「告ぐ。」にしたんや。命令形にしたんや」
最近、太宰治の企画展を見たのだが、そこには太宰が大きくバツをつけた直筆原稿や、書き直しの跡が見られる原稿があった。それらは太宰の創作の舞台裏に迫る超貴重資料として、展示室のガラスケースに展示されていた。そうして多くの市民が「ほほぉ~」とありがたくそれらの原稿を見ていた。
もし父が名だたる作家だったら・・・。
私は娘として、この手書き看板を資料館に寄贈しただろう。
キャプションは『ネギ泥棒宛ての手書き看板』
「邦夫(父の名)が相次ぐネギ泥棒に怒りを示した看板。自宅裏の畑に設置。
「へ」が「告ぐ。」に書き換えられており、邦夫氏の込み上げる怒りが伝わってくる。
2021年 長女・絢子氏より寄贈」でいかがだろうか?
私はあまりにおかしく、親しい人たちに写真を送った。
「すごい看板だったねー。文字に怒りが感じられる」
「畑も広いねぇ。泥棒はいかんよ それは告ぐわ」
「父上の大切な畑に、それはいけないでしょう(笑いを必死に隠しつつ)」
多種多様な返信が届くのだが、共通しているのは、みんなネギ泥棒ではなく看板を立てた父に興味がいっていることだ。
私もその一人だ。
泥棒のプロファイリングはそこそこに、父という人間について思いを馳せる。
そうして「私には確実にこの人の血が流れているんだよなぁ」と、何とも言えない気持ちになる。
世間体など全く気にしない言動。自分の意のまま、勢いのままに走り出す性格。
今まで色んなものを禁止する看板を世間で見てきた。
「立入禁止」「駐車禁止」「携帯電話使用禁止」「録音・録画禁止」「ソースの二度漬け禁止」
それらの看板を見るたびに、「禁止されていることはしないでおこう」と心して生きてきたが、これほどまでに釘付けになった恐ろしい看板はない。
「絶対に盗みを犯してはいけないのだ」という観念が、体に、脳に、刷り込まれる。
何かの拍子でうっかりネギを抜いてしまった日には、即刻、地獄行きであろう。
きょうの夕食はネギにしよう。
私は「家庭菜園耕作者」から正しい手順でもらったネギを、どんな料理にして食べようか思案している。
「頭をグツグツにしています」
衆院選期間中、まわりの記者たちは選挙取材に忙しそうだった。
新聞記者は一面や政治面の細かい取材構成に追われ、午前様になっているようだった。テレビ記者は「緊張する」と言いながら、普段見せる顔とはちょっと違うクレバーな雰囲気で記者解説をしていた。
「3時間しか寝てないのに眠くない。アドレナリンが出ているんだと思う」と、言っている人もいた。やるべきことに追われ心身共につらそうなのだが、はたから見るとものすごくまぶしい。
その間私は何をしていたかというと…太宰治のことを考えていた。
「お忙しいですか?」と聞かれ、「ええ。太宰治の構成で頭をグツグツにしています」と返信した。
「頭をグツグツにする」
何気なく書いたのだが、鬼気迫るものがあったのかもしれない。
「それは大変。集中しているところにごめんね。」と謝られてしまった。
今年に入ってから妙に、太宰治のことが気になり始めていた。
恋人と太宰作品のDVDを観たり、「この夏しか手に入らない!限定プレミアムカバー2021」とのうたい文句に惹かれ、もう持っているくせに真っ黒な装丁の人間失格を購入してみたり、ちょっと物憂げな人を見ると「太宰に似てますね」と口にしてみたり。
ダザイストと呼べるほど読書量もないくせに、雰囲気で「太宰、太宰…」と口にすることが増えていた。実際読もうとすると「いる」が「ゐる」、「ようである」が「やうである」など、昔ながらの仮名遣いに拒絶反応を起こし、断念したこともあったくせに。
そんな折、富山市内にある高志の国文学館で「太宰治 創作の舞台裏 展」なる企画展が開催されることを知った。縁もゆかりもない北陸の地で開催されること自体が貴重だと感じ、「これは縁だ。特集を組もう」と企んでいた。
普通に客として訪れると、表面だけをなぞり何となく分かった気になって終わってしまう。が、自ら特集を組もうと決意すると、必要に迫られて勉強量が格段に増える。ある程度自分が理解したうえで、視聴者に伝わるように番組に落とし込む。そのためには勉強しかないのだ。
膨大な資料の中からどの資料をピックアップしようか、学芸員にどんなインタビューをぶつけようか、リポートで何を語るべきか。
ロケに行く前の「予定稿作り」が1番頭を使うかもしれない。
色々調べ物をしては原稿を書いていると、「人間失格」は太宰が自殺した後に、第二の手記、第三の手記が連載され、単行本化されたことを知る。
あんなすごい作品を書いたなら、世の中の反応が見たいとは思わなかったのだろうかー。
グツグツ グツグツ 頭が沸騰しそうになる しかし
グツグツ グツグツ そうなっているのは私だけではないだろう
グツグツ グツグツ 政治記者も忙しそうだ
グツグツ グツグツ 候補者本人も必死そうだ
選挙も終わり、秋風が冷たくなってきた。
文化の日のきょう窓から差し込む光がまぶしくて、私はカメラマンに「ブラインド下ろしたら?」と言った。
私の特集の撮り方は、記者やテレビディレクターとしては独特な方だと思う。
映画のように1カットずつ頭の中に思い描く。
その頭の中の設計図を、カメラマンにレクチャーする。
頭をぐつぐつにして考えた案を、カメラマンに半分背負わせるのだ。
きょうはそんな作業をして帰途についた。
私が1カメショーで撮ろうと思っていたところを、カメラマンが3カットに割ると提案してくれたこともうれしかった。実際、テストしてみるとその方がかっこよかった。
仕事帰りに薬局に行き、メイク落としと歯間ブラシを買う。
非日常と日常を行ったり来たり。
昭和と令和を行ったり来たり。
太宰と自分を行ったり来たり。
生涯に4度も自殺未遂を繰り返し、5度目の心中で帰らぬ人となった太宰治。
一緒に玉川上水に飛び込んだ山崎富栄の遺書を見て泣きそうになる。
「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません。」
仕方なく生きていた
「私この頃、仕方なく生きていたんだわ」
古いアルバムを見ながら私が何気なく放った一言が、母と妹の間で物議を呼んでいる。
あるエッセイコンクールに応募してみようと、私は家族の過去について母に取材をしていた。妹もそれに乗っかり、古い写真を送ってくれた。2人の協力を得ながら、私はエッセイを書き進めていた。
過去の写真。23で私を産んだ母は若く、女優のように美しかった。着ているものもおしゃれだ。言い過ぎかもしれないが、長谷川京子に見える写真もある。子ども(私)と一緒に写っているのに、母に目が行ってしまう。
妹もかわいい洋服を着せられポーズを決めたり、ペンギンの水着を着てバンザイをしたりとイキイキしている。それに比べ、私はつまらなそうに、まさに仕方なく写真に収まっている。
「うん。私このころ、仕方なく生きていた」
母は「えっ!?大人になってからならともかく、幼児がそんなこと思うの?幼児なのに!?」と、今更ながら驚いていた。
そう。幼児でもしっかりと魂がある。
あのころしぶしぶ生きていた気持ちを、私ははっきりと思い出す。
なんというか・・・自分の顔が嫌いだったのだ。
昭和丸出しのこけし顔。こんな自分がかわいい服を着せられようが、お遊戯をしようが、お歌を歌おうが、全然かわいくないことを自覚していたのだ。
実際に私は自宅の鏡の前で、自分の顔をビンタしていたという。
「きらい、きらい。あやちゃん、このお顔きらい」と言いながら。
自分の顔を叩きつける幼児。自分の過去ながら、闇の深さを慮る。
「変わり者だから心配だった。困ったもんだと思っていた」と、母は当時を振り返る。
複数の証言をとりたいと、私は祖母にも電話取材をかけた。
「私、小さいころ自分の顔が嫌いやったんやけど、知っとる?」と。祖母は即答した。
「ほうや!自分の顔が嫌いや言うて、鼻つまんだり、顔叩いとったんなかったかな~。『ほんなことない。かわいいぞ』と言うても、そんなん聞かん。自分で可愛くないと思いこんどるさけ」という。
今思えば、我ながら面白いエピソードだ。
でも自分の顔が嫌いだなぁと思いながら生きる幼児時代は、なんかどうしようもない時間だった。
保育園に行くと、あんな顔に生まれたかったなぁと思う子がいた。
西洋風な顔つきで、何をしても可愛かった。
その中の一人えっちゃんは「ちょっと待って」などと言うときに「ちょん待って」というのが口癖だった。「ちょっと」を「ちょん」と言い換える可愛さ。
私はその言葉遣いにさえ猛烈に憧れ、家に帰ってから「ちょっと食べたい」を「ちょん食べたい」「ちょっと痛い」を「ちょん痛い」などと言ってみた。
すると「ちょんって何!?さっきからちょん、ちょん、ちょん、ちょんって!そんな言葉はありません。ちょっとでしょ。ちょっと」と、当時は怖かった母に叱られしゅんとした。
私には「ちょん」という資格さえないのだ。
こんな顔だから。昭和のこけし顔だから―。
幼いながら、自分が可愛いと自覚している女の子っている。
実際、姪っ子もキュートだ。幼いながら女子であることを十分に認識し、ファッションにもこだわりがある。
水玉エプロンに大きなリボンをつけてもらい、ポーズをとってぶりぶりと生きている。
可愛いなぁと思いながら、心の奥底で「ふんっ!」と思う気持ちも拭い去れない。
こけしの嫉妬心は深い。
寝ているときも考え中
母が「あの件どうなった?」と、私が考え中のことについて催促してきた。
私は「あぁん、もうっ!今、考えているところや。おかんにはわからんかもしれんけど、私はこうして歩いているときも、寝ているときも、考えを巡らせているんだから。いちいち聞いてこないで」と言った。
母は「ほぉ~。すごいね、あんたは。歩いているときも、寝ているときも考えているのか。さっすがやね~!違うね~!!ぐふふ。アヤはこうして歩いとるときも考えとるやて~」と、私が歩いている様子を再現し、大げさに驚いてみせた。
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別にたいしたことを考えているわけではない。地元公民館の文化祭に提出する写真のタイトルをどうするか?と、考えていただけだ。そもそも私は提出に消極的だった。しかし母が「私は手作りのエプロンを提出するから、あんたも写真出さんけ?」とうるさいので、さっき提出する作品を選んだばかりなのだ。
私は写真を2枚出すことにした。1枚目のタイトルはさくっと決まったのだが、もう1枚のタイトルがすぐには降りてこなかった。私は「おやつを食べたり、昼寝をしたりしている間に浮かぶだろう…」と思い、いったん『神様にお預けタイム』を取って、くつろいでいた。そんな折に「タイトルどうするん?」と急かされたのだ。
そもそも締め切りまではまだ時間があるし、私が出品するので母の手を煩わせることはない。さっき「そんなに言うなら出品してみるか…」と決心し写真を選んだばかりなのに、「タイトル決まった?ねぇ、何になった??」とは、なんともせわしない。
私は相手があることは、即断即決する。「行く」「行かない」「する」「しない」
「考えさせて」と言っても、相手の時間を消耗させるだけだ。その場でさっと答えた方が迷惑をかけない。
送別会の寄せ書きなども、渡されたらその場で書ききるようにしている。幹事さんの負担を少しでも減らしたい。
でもときどき「あ、これは今降りてこないな」と感じ、誰にも迷惑をかけないと思ったことに関しては『神様にお預けタイム』をとることがある。
といってもそんなに長くはない。一晩くらいだ。
ぐーっとそのことばかり考えるのではなく、いったん離れることでふかんしたアイデアが降ってくることがある。
そもそも私が文化祭への出品に消極的だったのは、わざわざ金沢に帰って見ることができないかもしれないからだ。
母には「私は見られないかもしれないから、会場の雰囲気だけでも写真に撮っておいてね」と言ってあった。そのとき母は「うん、わかったよ。私が代表して見に行くよ」言っていた。
しかしだ。提出を終えて、さぁ寝るかという段階になって「ねぇねぇ。文化祭って、みんなでワイワイ見に行くものじゃない?私一人で行くっておかしいよねぇ」と言うではないか。
やられた!
結局、私と一緒に行きたいだけじゃないか。
何が「文化祭とは、みんなでワイワイ見に行くもの」だ。
いきなりそれっぽい定説をぶちかましてくるなんて、ずるすぎる!
「ずるい、ずるい、ずるいー!」と私が叫ぶ。
母がきまり悪そうに、「へへへ」と笑う。
そんなことをしているとおかしさが込み上げてきて、2人で腹筋が崩壊するほど笑い転げた。
こうして私はいつも母と行動を共にしているため「仲良し親子」と言われることが多い。否定はしないが、母は友達がいないから、私が遊んであげるしかないのも事実だ。
「仲良し」というよりは、私に叱られながらもニヤニヤと私のそばにいるおかん、という表現がしっくりくる。
発信しない「しあわせ」
しあわせが全身から溢れていた。
2年ぶりに会った彼女は1児のママになり、大きな個展を開催し、笑顔で私を迎えてくれた。
中 乃波木(なか のはぎ)ちゃん。
仕事を通して2年前に知り合った尊敬すべき友人だ。
今回「読む写真展」という新しい試みに挑戦していた。
彼女が書いた小説の世界を写真でも見せていく、というものだった。
会場では年下の旦那様が、心から楽しそうに彼女をサポートしていた。
写真と文章のほかに、可愛らしい絵も散りばめられていた。
「あの絵はどなたが描いたんですか?」と聞くと、「あれは乃波木さんが描いたんですよ。可愛いですよね」と答えてくれた。
妻を「さん」付けで呼ぶ彼も、若くして画家として成功を収めている逸材だ。
彼女を尊敬し、愛していることがその一言から伝わった。
乃波木ちゃんはSNSで個展をPRしていた。
SNSにはちらりと会場の様子が写っていたのだが、それを見たときからとんでもない規模の個展だとわかった。内容も濃いし、展示もプロが携わっていると一目でわかった。
「出産を終えたばかりで、どうしてここまでのことが出来たの・・・?」
私は聞きたかったことをまっすぐ彼女にぶつけてみた。
「話がきたときは、出産したばかりでそれどころじゃないし断ろうと思っていたの。でも彼の(旦那様の)『できるよ』という一言に後押しされてやろうと思えたの。早々に『私は無理、おまかせする!』というスタンスを見せておけば、まわりが動いてくれるのよ」そう言って乃波木ちゃんは笑った。
実際に写真の選定や展示は、画家である旦那さんが仕切ったそうだ。
イラストのパネルは、彼女が渡した素材をもとに学芸員が色々作ってくれたのだという。
うるさいことを言わずにまかせておくことで、まわりが生き生きと動いてくれたそうだ。
「つまり乃波木ちゃんは『素材』を提出したということ?」
「そうそう。私は素材係!」
もちろん素材(作品)が一番大切だ。素材の力があってこその個展だ。
でも個展を開催するには、「見せ方」という別の一面も重要になってくる。
どの写真を選ぶか、どんな風に展示するか、どこに何を配置するか、動線をどうするか。
料理の仕方次第で、素材は輝くこともあれば逆に輝きを失うこともある。
「素材」×「展示」=個展
個展の成功には、作品を作るまっすぐなライオンの目と、作品を見せる視野が広いシマウマの目。両方の目が必要なのだ。素材:展示。私の持論では6:4くらいの比重だと思っている。その4の部分を信頼出来る人にまかせられるというのは大きい。
会場では1歳になる息子さんが、愛想よく来場者を迎えていた。
「毎日幸せなの。幸せすぎて、もう誰にも幸せと言わなくてもいいの」
乃波木ちゃんがやわらかい笑顔でそう話す。
確かに彼女のSNSには、必要最低限の告知しかされていない。
「子育てでこんなことがあった」「旦那さんがこんなことをしてくれた」
そんな書き込みは一切見られない。
幸せと発信しなくていいほどの幸せ―
シンプルだけれど重すぎる言葉に、私は圧倒された。
今の時代、これはある意味すごいことだ。
誰かに報告するための幸せではなく、自分の中で噛み締める幸せ。
「旦那さんから花束をプレゼントされた」「彼にやさしい言葉をかけてもらった」
そう発信する人ほど、実はさみしいのかもしれない。
SNSだけ妙に華やかな人っている。
蓋を開けたら、心はぼろぼろだという知人や芸能人も確かにいる。
きっと誰かに「すごいね」って言ってもらいたくて、過度に発信してしまうのだろう。
乃波木ちゃんの個展は、能登で育った彼女ならではの視点で溢れていた。
文章が書けて、写真が撮れて、絵まで描けてしまう。
そのどれもがすごすぎるレベルで、彼女の表現したいことを形作っている。
すごいね、乃波木ちゃん。
愛に包まれた世界、会場で見たい人はぜひ。会期終了が迫っています。今週末にでも!
野々市市市制施行10周年記念「中 乃波木 読む写真展-い~じ~大波小波の世界-」
学びの杜ののいちカレード
10月19日(火)まで 9:00~19:00 水曜休館 入場無料
鉄は熱いうちに打て
昼寝から起きて携帯を見ると、友人からLINEが入っていた。
「今日はどうや?」と。
実は3日前の秋分の日にも「お茶かランチでもいかが?」と誘われていたのだが、その日は高岡大仏の取材や選挙の取材などに邁進していて、断っていたのだ。
「今日はどうや?」というのは、「今日は遊べる?」という意味だ。
LINEが届いたのは午後1時ごろ。ちょうどむにょむにょと眠りに落ちた頃だった。
午後3時半、私はすぐにLINEを打ち返した。
「やばい!いま昼寝から起きた」「どうしよ」「なんとでもなる」「ちょうど寝落ちした時間やった」と。
すぐに返事が返ってきた。
「お疲れだったんだよ!」「今外散歩中」「海に行こうと思ってた」「行く?」と。
私は寝起きのどすっぴんだったが、にんにく醤油まぜそばをまだ食べていないことだけが救いだった。きょうは誰にも会う予定がないので「昼寝から起きたら、茹でて食べよう」と思っていたのだ。袋には「にんにくをガツンと利かせた、パンチのある濃厚醤油味」と書かれている。良かった、食べる前で。良かった、臭くなる前で。
午後4時。久しぶりに彼女と会い、波打ち際に新聞紙とバスタオルを敷いて近況報告をし合った。途中で顔に雨粒が当たったので、早々に海時間を切り上げてそば店に入った。ざるそば中盛り(300g)と揚げたてのかき揚げを注文する。
「おいしい、ここおいしいね」「うちら、ごはんはハズさないよね」などと言いながらら、ずるずるすする。粉っぽさがない細いそばで、私の好みだった。ネギとワサビをたっぷり入れたつゆに浸して食べる。今度はごまくるみダレそばも食べてみたい。
きょう彼女と話していて、私が強く主張したのは「鉄は熱いうちに打て」ということ。
女性は自分に自信がなくて「準備」の時間を欲するときがある。彼女もそのタイプだ。でも、「完璧な自分を追い求めて準備しているうちに、タイミングを逃すことがある」と、最近すごく思うのだ。
彼女は面白いことを言った。「なかっちゃん(私のこと)は、ごちゃごちゃした部屋でも私を入れてくれたよね」「なかっちゃんは、昼寝から飛び起きてでも私に会いに来てくれるんだね」「それでいいんだと思った」と。
そう。そうなのだ。何より大事なのは、相手が求めている「今」応じることなのだ。
仕事なんか特にそうだ。勉強不足であろうが準備不足であろうが、ニュースが動いてる今、時間内に処理しなければならない。完璧を求めて遅れるより、そこそこでも時間内に収めることの方が重要になってくる。
人間関係も同じだと思う。「会いたい」と言われたときに時間を作らなくては、どんどん縁遠くなっていく。きれいにメイクをしておしゃれをして来週時間を作るより、きょう飛び起きて30分後に時間を作る方が誠意が伝わる。別に女友達だからといって、手を抜いているわけでもない。それが男性であっても恋人であっても同じだ。
部屋が汚くても「どうぞ」と招き入れ、自分の髪形やメイクがいまいち決まっていなくてもニコニコとデートに向かい、ダイエットがまったく追いついていなくとも潔く裸になって愉しむ。LINEも見たらすぐに返信する。つまらない駆け引きは一切しないし、それで失敗したと思うこともない。いわゆる女子力の高さは、男子は意外と求めていない。
ことわざって「そうだよね~。そうそうその通り!」と思う格言がいっぱいあるけど、「鉄は熱いうちに打て」は、中でもとりわけ私の心をつかむことわざだ。
熱くてぐにゃりと曲がりそうな鉄が、私には見える。
今、失敗してもいいからそこを打ちたい。粗削りでもいいから、挑戦すべきだ。
準備に時間をかけすぎてカチカチに冷えてしまったら、手の施しようがない。
痴女ピエロ
メガネの写真が送られてきた。変わったフォルム。繊細なデザイン。
「きょうは眼鏡を変え、ささやかな気分転換です」とある。
ときどき連絡を取り合う男性からのLINEだ。
「本当はかけてる写真が欲しいですが。
まあ私と違って、ご自身の写真を送りつけたりはされないですもんね…」と返す。
「かけた写真を送るのは、気恥ずかしいので。今度見せるよ」
「気恥ずかしい」というワードが、彼の人柄を表している。
10年ほど前からの友人だが、私は彼の写真を1枚も持っていない。
一緒に撮ったこともない。
「本当は1枚くらい写真欲しいですけどね」と言ってみる。
「僕の写真1枚も持っていませんでしたっけ?僕はナカダさんの水着の写真も持ってますけどね」と言われ、腰を抜かしそうになる。
!!!
驚いた。そうだったっけ?
私はその人と一緒に海やプールに行ったわけではない。
その人が私の水着姿を撮影したわけでもない。
思い当たることとすれば・・・
7年前、女友達と行った海外旅行。
ベトナムのリゾート地・ダナンのプールで撮った写真を、私から彼に送りつけた記憶が蘇る。
私は自分の行動に絶句した。
「そんなもの送ってましたか…。すっかり忘れていましたが、送ったかもしれない。
ええ、送りましたね…。すいません、本当にすいません」
「どうしてすいませんなの?」その人は私が謝る姿を不思議そうに見つめていた。
きっとあのときはダナンの美しいプールにテンションが上がっていたのだ。
白と紺のボーダーの水着だ。間違いない。
どんなポーズのカットだろう。
自分のしたこととは言え、恐ろしすぎて細かく聞けない。
彼氏でもない男性に、どうしてそんな図々しいことをしてしまったんだろう。
頼まれてもいないのに。望まれてもいないのに。「水着写真送って」と、冗談でも言われていないのに。
まるで、大バカ者のピエロではないか。
家に帰ってゆっくり考えてみた。
そうして、自分と向き合い反省文をしたためた。
「写真を送るのは、たぶん自信のなさの表れです…。
忘れられたくなくて、思い出してほしくて、そうしてるんです。
テレビ人間の安易なやりかたをお許しください」
テレビの世界にいると、「強い絵」を使いたくなる。
インパクトのある絵を、見せつける癖がついている。
水着姿ではないが、今でも写真を送ってしまう。
こんな場所に来た、こんなことをしている、こんなものを食べている…と。
頼まれてもいないのに、ちゃべちゃべと。(金沢弁で出しゃばってという意)
自己顕示欲の塊だ。自分でもわかっている。
まわりの人間も私をそう見ている。わかっている。わかっている。
もう、やめよう。本当に、やめよう。
私のことなど何とも思っていない人に、どうしてそんなことができたのか。
哀れな痴女ピエロを、いよいよ卒業せねば―。
そう思っていた矢先、ピコンとLINEがなった。
「忘れないし、思っています。安心して。安易とか許してとか、そんな言い方はおかしいです。写真を送ってくれるのは、嬉しいです。送りつけられてる、なんて露ほども思ってないよ」
今しがたまで、火渡りの荒行に出ようかと思うくらい反省していたのに、
思いがけぬ優しい返信に、はらはらと心が溶けていく。
ピコン 再びラインがなった。
「帰りの車内で撮ってみました。難しい」
そこには自撮りとは無縁な人の、自撮り写真が添付されていた。
慣れない表情の瞳がこちらを見ている。
私は息が止まるほど驚いた。
何たる歩み寄り。
「私のために慣れないことをしてくださり、何よりその気持ちがうれしいです。」
いま、何も欠けているものがない。藤原道長の唄を思い出す。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」
奇しくも翌日は中秋の名月だ。