「頭をグツグツにしています」
衆院選期間中、まわりの記者たちは選挙取材に忙しそうだった。
新聞記者は一面や政治面の細かい取材構成に追われ、午前様になっているようだった。テレビ記者は「緊張する」と言いながら、普段見せる顔とはちょっと違うクレバーな雰囲気で記者解説をしていた。
「3時間しか寝てないのに眠くない。アドレナリンが出ているんだと思う」と、言っている人もいた。やるべきことに追われ心身共につらそうなのだが、はたから見るとものすごくまぶしい。
その間私は何をしていたかというと…太宰治のことを考えていた。
「お忙しいですか?」と聞かれ、「ええ。太宰治の構成で頭をグツグツにしています」と返信した。
「頭をグツグツにする」
何気なく書いたのだが、鬼気迫るものがあったのかもしれない。
「それは大変。集中しているところにごめんね。」と謝られてしまった。
今年に入ってから妙に、太宰治のことが気になり始めていた。
恋人と太宰作品のDVDを観たり、「この夏しか手に入らない!限定プレミアムカバー2021」とのうたい文句に惹かれ、もう持っているくせに真っ黒な装丁の人間失格を購入してみたり、ちょっと物憂げな人を見ると「太宰に似てますね」と口にしてみたり。
ダザイストと呼べるほど読書量もないくせに、雰囲気で「太宰、太宰…」と口にすることが増えていた。実際読もうとすると「いる」が「ゐる」、「ようである」が「やうである」など、昔ながらの仮名遣いに拒絶反応を起こし、断念したこともあったくせに。
そんな折、富山市内にある高志の国文学館で「太宰治 創作の舞台裏 展」なる企画展が開催されることを知った。縁もゆかりもない北陸の地で開催されること自体が貴重だと感じ、「これは縁だ。特集を組もう」と企んでいた。
普通に客として訪れると、表面だけをなぞり何となく分かった気になって終わってしまう。が、自ら特集を組もうと決意すると、必要に迫られて勉強量が格段に増える。ある程度自分が理解したうえで、視聴者に伝わるように番組に落とし込む。そのためには勉強しかないのだ。
膨大な資料の中からどの資料をピックアップしようか、学芸員にどんなインタビューをぶつけようか、リポートで何を語るべきか。
ロケに行く前の「予定稿作り」が1番頭を使うかもしれない。
色々調べ物をしては原稿を書いていると、「人間失格」は太宰が自殺した後に、第二の手記、第三の手記が連載され、単行本化されたことを知る。
あんなすごい作品を書いたなら、世の中の反応が見たいとは思わなかったのだろうかー。
グツグツ グツグツ 頭が沸騰しそうになる しかし
グツグツ グツグツ そうなっているのは私だけではないだろう
グツグツ グツグツ 政治記者も忙しそうだ
グツグツ グツグツ 候補者本人も必死そうだ
選挙も終わり、秋風が冷たくなってきた。
文化の日のきょう窓から差し込む光がまぶしくて、私はカメラマンに「ブラインド下ろしたら?」と言った。
私の特集の撮り方は、記者やテレビディレクターとしては独特な方だと思う。
映画のように1カットずつ頭の中に思い描く。
その頭の中の設計図を、カメラマンにレクチャーする。
頭をぐつぐつにして考えた案を、カメラマンに半分背負わせるのだ。
きょうはそんな作業をして帰途についた。
私が1カメショーで撮ろうと思っていたところを、カメラマンが3カットに割ると提案してくれたこともうれしかった。実際、テストしてみるとその方がかっこよかった。
仕事帰りに薬局に行き、メイク落としと歯間ブラシを買う。
非日常と日常を行ったり来たり。
昭和と令和を行ったり来たり。
太宰と自分を行ったり来たり。
生涯に4度も自殺未遂を繰り返し、5度目の心中で帰らぬ人となった太宰治。
一緒に玉川上水に飛び込んだ山崎富栄の遺書を見て泣きそうになる。
「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません。」