ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

「ステイホーム」に思うこと

2020.4.24(金)雨

 

 小池百合子都知事が声高らかに「ステイホーム」と呼びかけている。

 「ステイホーム週間にしましょう」と。「買い物は3日に1回にしましょう」と。

まるで小さな子供たちに言い聞かせるように。この人の言葉はわかりやすい。

 「ホームステイ」なら知っているが「ステイホーム」か。

  言葉をひっくり返しただけで、印象が異なるものだ。

 

 いつかこの事態が収束したときのために、現状をメモに残しておこうと思う。

 

 最近は起きがけに体温を測って、上司に報告することが定例化ている。

布団の中で水銀の体温計を脇に挟んで5分ほど待つ。今は一瞬で測れるものも

多いらしいが、私が使っているのは水銀の体温計。だいたいいつも36度前後。

 35度8分のときもある。これまでは「風邪かも、熱があるかも…」と思うときに体温計を使っていたので、「自分の平熱は意外と低いんだ」ということを最近知った。

 

 会社に行けばドアというドア、窓という窓が開けっぱなしにされている。これがまあまあ寒い。体温が低い私には冬のようだ。もう4月も下旬だというのに、私はタートルネックにニットを重ね、タイツを身に着けて出社している。中にはダウンコートを着ている社員もいる。

 

 1週間ごとに席も入れ替えている。報道フロアで向かい合わせにならないように、A班とB班が入れ替わりで、普段はお客様と談笑する喫茶スペースが仕事場になる。

 できる工夫を、できる限りしながら仕事をしている。

 

 こうした中、志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなったというニュースを聞くと愕然とする。岡江さんのニュースはきのう午後に飛び込んできたばかり。

 

 「自粛疲れ」という言葉があるが、私のような者はそれを言うのもはばかられる。

医療現場の最前線にいる人、様々な理由で人生の転換期を迎えている人のことを思えば、ただ黙って家にいることくらい、ストレスでもなければ疲れでもない。当たり前のことだ。

 

 宣言通り、恋人とも会っていない。いろいろあって昨年末から付き合い始めたばかりの人なのだが今この時期に目の前の欲にかられて彼に何かあったら、私は後悔してもしきれない。仕事が終われば淡々と一人暮らしのアパートに戻り、地味な生活を送っている。これでいいんだ、と思いながら。

 

 ときどき自分の心をじっくりと見つめ直す。

 こんなに会えなくてもどうも思わないなんて、私は彼のことがそれほど好きではないのだろうか?それともある程度会えなくても大丈夫だという自信の表れなのだろうか?

それとも・・・

 

 そうして自分なりに導き出した答えは、「私は彼のことを好きだ。彼も私のことを好きそうである。しかし私は非常に真面目で心配性だ。長年私を見てきて私の気質を理解している彼は、いたずらに私に「会おうよ~」とは言ってこない。そうすると私が激怒することを知っているから。彼は大らかな人なので、私が彼女じゃなければ、彼女くらいには会っていたと思う」というもの。

 

 彼は大切な人だ。そしてそれなりの人だ。私は彼のことを守らなければいけないと思っている。自分が移してしまってはいけないし、彼と共倒れになるのもみっともないと思ってる。だから今は単独行動がベストだと信じて生きている。

 

 もし自分のパートナーが総理だったら・・・。私は心配と気疲れで倒れてしまうと思う。ちょろちょろと多人数で参拝に行ったり、堂々と花見パーティーに参加できるような、空気の読めなさがなければ務まらないのだろう。