あのころ、作家になりたかった
1月はとても忙しかった。
まあ、自分が悪いのだ。調子に乗って仕事を入れ過ぎた。
明らかにキャパオーバーだと思っても、一度断るともう依頼が来なくなるのでは、と不安になり「チャンスをありがとうございます」と、格好つけて受けてしまった。
県警記者クラブと県政記者クラブの幹事社業務をこなしながら(たまたま2つが重なった)、日々のニュースを取材し、さらに2本の企画を並行して進めながら、滝行リポートにも出向いた。
会社員である以上、こなした仕事量で給料が変わるわけでもない。
逆に残業が続けば「管理能力なし」と判断され、出世からは遠ざかる。
それでも仕事を入れてしまう。
どうして私はこんな風にしか生きられないんだろうと思った時、その原点を思い出した。
それは学生時代である。
あのころ私は「何者」かにになりたかった。自分の作品を世に出す人になりたかった。
私の学生時代にはSNSというものがなかった。作家になるには芥川賞か直木賞でもとるか、とんでもない実力と運を兼ね備えていないと無理な気がしていた。
池袋のリブロという書店をうろつきながら「ここに私の本が並ぶにはどうしたらいいだろうか?」と迷走していた。
書いたものを出版社に送ったりしていたが、そうそう芽が出るものでもなかった。
売れている人が「眠る時間が欲しい」と言っているのを見て、心底羨ましかった。
寝なくてもいいから仕事が欲しかった。
締め切りが迫っても作品が完成せず編集者を待たせるなんて、何様のつもりだろう。
売れっ子のそんな話を聞くたびに、腸が煮えくり返った。
時間内に仕上げることも実力のうちだろうよ、と思っていた。
私だったら締め切りの3日前には作品を仕上げ、作品をブラッシュアップしてもらう時間も残しておくのに・・・!
仕事ゼロの学生の身でそんなことを思っていた。
結局、何者にもなれないまま、テレビ局に入社した。
若いころは、無駄に怒られたり嫉妬されたりで仕事がのらず「ひとつも面白いことがない」と、不貞腐れていた。今思っても、理不尽と思えることが多すぎた。
そんな不毛な日々をやり過ごし、数年前からだんだんと自分の表現したいものが表現できるようになってきた。企画を募集しているとあらば真っ先に企画書を出し、「この枠で何か作れる?」と言われれば、全部受けた。
それゆえ「今、頭の上に鍋を置いたら、カレーでもシチューでもなんでも煮えるな」と思うくらい忙しい日々が続いた。頭のてっぺんの、特に右側がぐつぐつしていた。
考えること、処理することが山のようにあり、TO DOリストに丸をつけてもつけても、次のミッションが立ちはだかる。
夜中に帰ってくる。さっさと寝ればいいものを、感覚が振り切れてしまっている。
気付いたら、私は黒いバスローブを羽織り、白髪染めをしていた。
夜中3時、妖怪 白髪染め女 富山市内に出現す。
きれいに染まった髪を見て、あすの取材も頑張ろうと思う。
もう日付が変わっているので、あすというよりきょうになるのか・・・。
フリーランスの作家が「忙しくて眠れない」というのと、会社員の私が「忙しくて眠れない」というのは質が違うことは重々分かっている。
前者は「売れっ子」だが、後者は「ただの忙しいサラリーマン」だ。
それでも私は、今の生活に意外と満足している。
あのころ渇望していた日々が、今まさに手に入っている。
本の出版には至っていないが、テレビで自分が作った企画や番組がオンエアされることは、何事にも代えがたき幸福である。
「はぁ~忙しい~」と言いそうになる一言を、「はぁ~幸せ~」に変えてみる。
それはそれで本心なのだ。