お金の神様と遺言書
2021年8月23日(月)くもり 真夏日
祖母の遺産相続について、元気なうちにキチンとしておこうという話になっている。
祖母には長生きしてほしいからこそ、早く今のうちにデリケートな部分はクリアにしておこうと促しているのだ。
「私はまだまだ死なん!」と消極的だった祖母がようやく重い腰を上げ、一人で司法書士のところに行った。遺言書をつくるために。
母が付いていこうとしたが、「私の腹で決める」とかっこいいことを言って、本当に一人で話を聞きに行った。
今は両親やその兄弟間での分配の話なので、私の代はまだ関係ないのだが、ちょっと話したいことがあり妹に電話した。妹にこちらの状況を伝え、アドバイスと同意を求める。妹はもちろんそうすべきと快諾する。話が早い。
お金の話って、世の中ではしにくそうだ。
みんな遠慮しながら、顔色を見ながら、数字を出し合ったり、隠したり。
それが美徳といわんばかりに。
私はそういうのはすごく気持ち悪い。
お金のことこそ、気持ちよくしておきたい。
家族間や恋人・友人など、近しい人ほど『借りたら返す』『基本、割り勘』の精神で
生きているので、お金で嫌な思いをしたことがほぼない。
きちんと納税しているのだから、私は給料もボーナスも貯金も聞かれれば答える。
別に隠す数字でもない、黒塗り案件にする必要がない。
ここに記してもいいくらいだが、「それならあなたのも教えてね」と思うので、
平等の観点から記さない。
恋人の年収を知っているし、貯金額も知っている。
私の年収も伝えてあるし、うちの土地・財産や、
マンションの購入額や・借金も、だいたい伝わっている。
「明朗会計」
私はいつもこの言葉を口にする。
ランチをごちそうしてくれた男子にも「明朗会計にしよ、また来たいし」と言って、
店を出た後すぐに現金で半額を渡すようにしている。
そうすると「おおぅ・・・明朗会計ね・・・」と、聞きなれない言葉に面食らいながら、「ありがとう」と受け取ってくれる。
財布だけ出すふりをしてもじもじしていたら、結局払わせてしまう羽目になる。
「明朗会計にしよ」は、受け取りやすい言葉なのだ。
なので私はランチに誘われたら、1000円札と小銭が財布にあるかを確認して出かけるようにしている。
こうしたことから、私のまわりではお金のトラブルが起きたことがない。
昔、高校時代のソフトテニスで仲間の結婚式が続いたとき、
「ご祝儀2万円ルール」というのができた。
みんなが負担にならずに参加できるように、と定められた金額だった。
「あの子が多く払ったらしい」「私はいくら払えばいいのか?」などというもやもやが一気に解消される。メンバー間の結婚式は、結婚の時期が早かろうが遅かろうが、豪華であろうが質素であろうが、有無を言わず2万円!という、驚くほど気持ちのよいルールだ。
割り切れる数字だとかそんなことは関係ない。3万円ではキツイという気持ちがそうさせたのだろう。
みんな迷うことなく2万円を包んで出席する。
思い起こせば、まわりの友人たちもお金にきれいなコたちばかりだった。
マンションを建てるときも、私は担当者やその上司にいくら以内に収めてほしいと、
はっきりと提示した。
その数字をもとに、いろんな計画が進んでいった。
予算をぱきっと伝えることは大事なのだ。
銀行の担当者からかかる季節のあいさつ電話(投資信託のお誘い)にも、
気持ちよくに応じるようにしている。きょうは1本(100万)にしておくかなとか、3本(300万)いけますよなど、私の買い方は100万円単位だ。
おすすめされた通りの商品を買い、嫌な思いをしたことがない。
担当者もとてもうれしそうにしてくれる。
そうしてある程度利益が上がったものを解約し、次の商品を購入する。
担当者には「もともとリスクがあることを承知で買っているので、
失敗しても別にいいですよ。命とられるわけじゃあるまいし」と言ってある。
いわゆる「余剰資金」と呼ばれる部分で、私はけっこう太っ腹に冒険する。
一度リーマンショックのときは-170万円の損失を出して驚いたことがあったが、「まあ、今じたばたしても仕方ないわ」と塩漬けにして寝かせることで、回復した。
「お金は大好きだ」「大事に、有意義に使おう」「失敗しても死ぬわけじゃない」
お金に対してクリアな気持ちでいることで、お金といい関係を気付けるような
気がする。でも目がくらんだら、たちまち奈落の底に突き落とされそうな気もする。
遺産相続に、遺言書。
「みんなが笑顔になる方向で進めよう」そういいながら我田引水したい気持ちが見え隠れする。
ちょっとした欲が命取りになるので、気持ちよく、誠意をもって・・・。
お金の神様に見捨てられないように―