ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

仕事の耐震強度

2021年8月16日(月)くもり

 

 「会いたい」「顔を見て話したい」「美味しいものを食べて、笑い合いたい」

そんなシンプルな欲求を「いつか」「よくなったら」「トンネルを抜けたら」と、

先延ばし、先延ばしにし、今に至る。

 

 しかし、待てば待つほど状況は悪化。富山県はきょうからコロナの警戒レベルが、最大警戒のステージ3だ。

 県内のランドマークが赤く染まる。光の警報。強すぎる赤い光が、時代を不気味に照らしている。

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2021.8.16(月)19:30

  コロナ禍であるとあらざるとに関わらず、最近、気持ちの浮き沈みが激しい。

ちょっとしたことで天にも昇るような喜びを味わったり、ちょっとしたことで自分の不甲斐なさに自己嫌悪に陥ったりする。

 

 私と同じくらいの年代の人が、後輩の育成や指導に携わっている。信頼され、慕われている姿を見るとまぶしい。

 しかし、私はそういう仕事を自ら放棄してきたのだ。「強めに言って恨まれたりしたら大損だわ。うま味がないし、自分には向いてない」と、育てる作業は先輩に丸投げした。そもそも人に何かを教える自信がなかったのだ。

 そうして私はひとり編集室にこもり、自分の世界観を作り上げることだけに没頭してきた。

 

 入社したあの頃に戻って、すべてをやり直したいと思うことがある。

 

 新人時代は新人記者らしく、警察まわりに奔走すればよかった。一度も警察担当を経験しなかったから、今になって苦しんでいる。「本当はアナウンサーになりたかったのに…。記者なんて地味で苦しいだけ。何で私ばっかり、デスクに叱られ倒すのか」と、不貞腐れた態度をとり続けたつけが、今になって自分を苦しめている。

 

 中堅時代は中堅記者らしく、県政取材に奔走すればよかった。当時の私は政治という世界を毛嫌いしていた。あの世界特有の空気に馴染めず、どこか片手間だった。もっと前向きにパイプを作って、バリバリ記者解説をすればよかった。

 

 何者かになりたかったのにうまくハマらず、何者にもなれなかった日々。

 

 当時、県政記者室で読んだ新聞記事が忘れられない。

私より若き芥川賞作家が「欲しいものはすべて手に入れました」と、インタビューに答えていた。

 

 「私は何も手に入れていないのに…」と、膝から崩れ落ちるような感覚に陥った。未だにその感情はよく覚えている。

 

 あの頃の自分に言ってやりたい。「せっかくテレビ局の記者になったのだから、目の前の仕事に集中したら?面白いわよ」と。

 魂を入れて仕事をすれば、目の前の景色は変わっていただろうと、今になって思う。

 

 こうして私はただ「長く続けている」というだけで、それなりのポジションに就いているのだが、どうも心もとない。仕事の「体幹」が乏しいのが自分でわかる。

 あまり自分の弱みを見せるタイプではないのだが、私は信頼できる人に胸の内を打ち明けてみた。

 

「私、この世界は長いんですが、警察担当をしたことがないままデスクになったり、

政治の記者解説をしたことがないまま支局長をしていたり、仕事の耐震強度がグッラグラなんです。日々いつ倒れるんだろうと思いながら、持ちこたえています」と。

 

すぐに返信がきた。

「周りはこの人ならできると思うから、いろいろ任せるのではないでしょうか。危ないと思ったらさせないでしょう。中田さんは、まじめすぎますよ。そこがいいところでもありますが。えらそうなこと言ってすみません」と。

 

 メールのやりとりではもどかしく、そのあと電話で40分ほど話をした。自分には戦友と呼べる人もおらず、孤独だということも打ち明けたすると、「何言ってるんですか、私たち戦友じゃないですか」と返ってきた。

 まじめな私を励ますための、もったいなすぎる言葉だった。

 

 おもむろに辞書で調べてみる。

 『戦友』

1 同じ部隊に属して生活をともにし、戦闘に従事する仲間。戦場でともに戦った友。

2 (比喩的に)仕事やスポーツなどで、厳しい競争を共に経験した仲間。

 

「ありがとうございます。涙が出るほどうれしいです」と言葉にしたものの、私とその方とはレベルが違いすぎるし、戦友として私が力になれたことなど一度もない。

 

 何かの戦いのときに力になれるよう、本当の戦友になれるよう、日々精進しようと思う。どんな戦いが起こるのか、何をどの方向で頑張れば戦友になれるのかピンとこないが、わからないことは格好つけずに人に聞いて、誠実に、ごまかさずに…。

 

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 真っ赤な街を撮って帰途に就くと、富山県にもまん延防止等重点措置が適用される方針だという情報が入ってきた。甘えたくても甘えられない。誰にも会えない今こそ、自分と向き合い、力を溜めるにはいい機会かもしれない。

 

 一眼レフのモニターを見ながら、撮ってきたばかりの真っ赤なランドマークを確認した。今は大きな意味で、人類全体が戦友なのだと感じた。