ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

2020年の備忘録②「新」

※備忘録①のつづき ①から読んでくれるとうれしいです

 

元彼と同棲した部屋から、あと1カ月あまりで引っ越すことになっている。

元彼は出ていくときに、持参した家具や本などはすべて自分で運んで出ていった。ただひとつだけ、2人で一生使おうとしていた大きな家具だけは運び出せずに置いていった。その家具は元彼がどうしても欲しかったもので、お金も彼が出していたものなので、私がこの家を出ていく時点で彼に返さなくてはと思っていた。

 

大手の引っ越し業者は、その家具の運び出しには別途3万5000円かかるといった。

まあそんなもんだろうと思った。分解もできず、ドアから入らない。入れるときもリフトを使って3階の窓から入れたので、運び出しにも相当の労力とお金を要することは想像できていた。

 

私は本当の引っ越しより先に、その家具だけでも返したかったので、便利屋さんを呼んでどうにかできないかと見積もりをお願いした。が、基本的に便利屋と呼ばれる業者はリフトを持っていないからリフトを手配するだけで3万円かかる。それに人件費がかかると5~6万円になってしまうから、その大手さんにお願いした方がいいと思う、と言われた。まあ、そうなんだろうと思う。別の便利屋さんも「こうしたものは我々では運べない。万が一事故があったら保証できませんので、日通さんとか大手のプロに頼んだ方がいいです」という感じだった。

 

元彼と同棲した部屋に残された大きな家具。きょう中にどうにか解決の方向性が見つかればと思っていたが、引っ越し当日まで鎮座するんだなと思い、心が重くなった。

 

今住んでいる部屋は眺めも良く、住んでいる人もいい感じで、実家にも近く、文句のない部屋だった。しかし元彼と別れることになり、2人で折半していた家賃をこのまま1人で払い続けていくのもなぁ・・・今後どうにか住まいを考えなくてはいけないなぁ・・・と去年末から新たな住まいのことを考え始めていた。

 

賃貸は気楽だったけれど、残らないものにお金を払い続けていくのもどうだろうか、などと思い始め、マンションの購入を考えたり、下見にいったりもし、紆余曲折につぐ紆余曲折を経て、母と隣同士で住めるような住まいを建てることにした。これまで「一括で買えないものは買わない。ローンなんて背負わない」という主義の家だったが、初めてローンを組むことにした。

 

週末ごとに住まいの打ち合わせが入った。楽しいながらも頭も使うし、お金の動きもバカでかい。父は軽蔑するほど小心者なので、こうした大きな話についていけず猛反対し、そこをかいくぐって女だけで話を進めなければならなく、それもかなりの心労となった。

 

仕事も4月から業務内容が少し変わった。仕事のことはあまりここに細かく記さないが、誰も得しないしんどさを私が背負っているときに、それに気付いて助け船を出してくれた人がいたこと。その助け船がすごく功を奏したことだけ書き留めておく。

 

コロナというものが世にはびこる前に、人生で初めて「写真展」を開催したのも今年、

2020年だった。プロデュースしてくださった方、見に来てくださった方、自分一人では経験できない広がりがあり、ぱくぱくしているうちに会期が終わった。

 

生きていれば小さなトラブルはつきものだ。

今年、父は脳梗塞を発症し、その後スズメバチに刺されれるなど踏んだり蹴ったりだった。

母は小さな交通事故に遭い、どうみても示談ですむ事故が相手の意向で裁判になった。まあこれもひとつの経験かと民事裁判にも出向くことになった。その後、母はめまいで倒れ救急搬送されたが「新しい住まいがあるから、もっと生きる」と言っている。

祖母はうまく言いくるめられて、とんでもない保険に入らされていたことが今年になって判明した。私が間に入って保険会社と交渉し取り返しに行くなど、私は女1人で、男3人分くらいの仕事をしたと思う。

ほっとしたのもつかの間、先日はうちの畑にネギ泥棒が入って、警察に被害届を出したばかりだ。

 

仕事だけでもまあまあ激務なのに、毎週新築の打ち合わせが行われ、家族のトラブルには駆り出され、ある秋の日、耳から血が出て驚いた。ストレスか疲れからくるものでしょうと言われ、思い当たることがありすぎた。

 

去年私は20年連れ沿った恋人と別れた。新しい恋人と過ごして1年になる。

乞われて乞われて「そこまでおっしゃるなら・・・」と、嫌いでもない元彼に別れ話をし、「とりあえず前の人と別れてあなたの元に来ました。よろしくお願いいたします」というような状況でスタートした恋愛だった。心はズタボロの負傷兵だった。

「きゅんきゅん大好き」とか「会えてうれしい」とか、そういう甘い気持ちがそぎ落とされた状態で、どうにか新たな気持ちでこの人とやっていこうと決めたのだった。

 

新しい彼もそれを重々承知してのスタートだった。一緒になることでその悲しみは全部カバーしていく、とにかく一緒になってほしいと言っていた。私は「元彼に別れを告げるなんて本意ではない。もし付き合うことになっても、私の中にはあなたのために元彼と別れてあげた、という思いが残る。それでもいいのか?」と何度も問うた。彼は「それでいい。とにかく俺のところに来てほしい」と言っていたので、清水の舞台から飛び降りる気持ちで決断したのだ。根負けして、俺のところにいって「あげた」のだ。

 

それでもそう決めたのは自分だし、せっかくここまで私を求めてくれたのだから、

新たな気持ちでこの人と新しい人生を過ごしていこうと思っていた。笑顔で、明るく

過ごすことに努めていた。

 

ただ、明るく元気に過ごしていることで、彼は私が負傷兵であることをすっかり忘れた節がある。よく気が付くし、やさしいし、利発な人だ。ただ足りないことがあるとすれば「負傷兵、大丈夫か?」という問いかけがないことだ。

 

私はズタボロになってあなたのもとにきた。大切な人も傷つけた。なるべく心配をかけないように元気にふるまっているが、その意識が今もある。元彼が置いていった家具を見て、泣きたくなるような、途方に暮れるような気持ちになることがある。

 

「大変な思いをさせてごめん。こっちに来てくれてありがとう。おかげで俺は幸せだ」というようなニュアンスのことを言葉に出して言ってほしいのに、ここ1年そんな言葉を1度も言われたことがない。

 

美味しいものを準備し、すてきな旅の手配をし、私を楽しませようとしてくれているのは伝わる。だが、私は1年付き合ってみて、まだ私はそんな段階ではないんだと感じた。サプライズより声掛けがほしい。

 

「ayako隊員、元気か?傷はないか?後悔はしていないか?俺の隊に入ってよかったか?足りないものはないか?怖い思いはしていないか?俺はお前が入隊してくれてよかった。そこにいてくれるだけでいい」などなど無骨な声掛けが欲しかったのだと、改めて思う。

 

私はとてもつらかったのだ。そして今もしんどいのだ。

 

それがまったく伝わっていないから、私は負傷兵扱いされず「荷物の片付けは進んでいるか?」などと聞かれてしまうのだろう。

 

胃にタールを流し込まれたような、ずしんとした思いが拭い去れない。

 

便利屋さんに断られた後、いろいろ思うことが湧き出てきて、とりあえず文章にして落ち着こうと思った。荷物の片付けよりも、女性は自分の気持ちに落とし前をつけないと前に進めないのだ。

 

こんなこと、ここに書かずにちゃんと本人に話せばいいんだろうと思う。でもしゃべりでは私は彼に勝てないのだ。論破されて論破されて今に至るのだから。私の武器は書くことだ。

 

写真展で「新しい」挑戦、仕事で「新しい」肩書き、住まいを「新築」し、「新しい」恋人と付き合うことになった。世の中では「新型」コロナウイルスが蔓延し、あらゆることを「刷新」した。私の今年の漢字一文字は「新」だった。