ayakonoheya’s diary

日々のことを、ありのままに

2020年の備忘録①(別れから1年)

いつも年末になると、備忘録として今年1年何があったか書くようにしている。

出来事や感情を、思いのまま隠さずに書くようにしている。

 

本来ならば今年のことを書きたいのだが、そのためには去年のことを書かずには進めない。去年の私の漢字一文字は「別」だった。20年近く寄り添ってくれた恋人と別れ、新しい人と付き合うことにした。もう1年経ったから、ここで書いておこうかなと思う。別に公表しなくてもいいことだが、2年3年と経つと思いが風化していくので、記憶が鮮明なうちに文字におこしておくことにする。

 

そもそも私は前の恋人と別れたくなかった。20年も一緒にいるということは、嫌なところがないからなのだ。ごはんをおいしそうに食べ、毎日幸せそうに暮らし、いらないことを口にせず、お金にも女性にもクリーンな元彼を私は好きだった。何をしていても2人でいられたら楽しかった。一生この人と生きていこうと思っていた。

 

が、まったくタイプの違う今の人が現れた。魅力的な人ではあったが、元彼と別れて

まで付き合う相手ではないと思っていた。ときどきごはんに行ったり、お酒を飲んだりする相手としてはいいなくらいに思っていたが、私のふらふらした行動が誤解を与えてしまった。新しい人が「チャンスをくれ」「試してほしい」「何でもする」「幸せにする」「今の彼氏と別れてほしい」と日々日々アピールがあり、逃げ場がなくなってしまった。私は何度も断った。たぶん100回くらい断った。が、まったく引こうとしてくれなかった。

 

そうしたことは元彼の目や耳にも否応なく入るのだが、元彼はそれに関しては

一切何も聞いてこなかった。元彼とは一緒に暮らしていた。「どうなってるんだ?」と一言責めてくれればこの現状を洗いざらい話してしまえるのに、何も言ってこなかった。そういう人なのだ。

 

その一方で新しい人は私が元彼と同棲しているマンションに帰ることを、すごく悲しんだ。「あなたは魅力的だから、私以外にも合う女性がいっぱいいる。私は今の彼氏と別れたくないから、私のことは諦めてくれ。そもそも私はあなたの口のうまさや女性関係について軽蔑するところがあり、信用できないので迷惑だ」と、罵り、罵り、罵り続けた。が、彼はまったくひるまずにアピールを続けてきた。

 

罵った時間は肌感覚で500時間くらい。ラインの文字にして卒業論文以上になると思う。もちろんその度に大喧嘩になるし、お互いに泣いたり怒ったりと泥沼になるし、

互いの本性がすべてさらけ出される時間にもなる。私は新しい人の嫌いなところを並べたてて非難した。泣いて泣いて、鼻水を垂れ流して私を諦めてほしいと懇願した。

 

そもそも自分の思いばかり押し付けるところが許せない。私のことが本当に好きならば、引いてくれるのが本当の愛ではないか?自分は何でも手に入れられると思い上がっているその神経、その傲慢さが大嫌いなんだ!と言い放った。

 

それでも彼は私を手に入れるためには一歩も引かないというスタンスだった。

 

誰にも言えなかった。ざくっと書いてしまえば「同棲している彼がいるが、新しい人に言い寄られて困っている」という、のろけともとれる内容である。私は吐くほど、毎日気が狂うほど苦しんでいたが、女友達にもどう話していいかまったく分からなかった。

 

そうこうしているうちに友達は「ayakoは私には何も話してくれない。もうayakoが何を考えているか分からない」と感じたようで、どんどん疎遠になってしまった。

 まあ私が友達の立場でも「はっきりとどちらかを選ぶしかないよ」というアドバイスしかできない。そんな相談をされたら「のろけてるの?モテてるって自慢したいの?」と思うと思う。

 

何をしていても生きた心地がしない。どっしりと幸せをかみしめられない。

きれいな景色を見ても、美味しいものを食べても、友達と話していても「あの件をどうにかしなくては・・・」という思いが1番に立つ。追い詰められすぎて、息もできなくなっていた。

 

苦しすぎた2019年夏、私は元彼に「別れてほしい」と切り出した。

「あの人から言い寄られている。もう逃げ場がない」と。

彼は静かに言った。「あいつは人のものが欲しいだけだろう。ちゃんと断ってきなさい」と。元彼としても私と別れる気がないという意思を示してきた。

「そうですよね。私もそう思っているんですがね・・・」と返すしかなかった。

その翌日からも元彼は一切態度を変えず、また日常生活が始まった。

 

私の中では日々断り、ふってはいるのだが、目の前からどかないのだ。

普通なら「一緒になってください」「ごめんなさい。どうしても今の彼とは別れられないのですみません」「残念・・・」で終わる話なのだが、そんな単純なことがままならない。

 

新しい人は「一緒になったらここへ行こう」と旅の積み立て貯金を始めたり、「一緒になったらこれを使おう」と私と一緒になる前提で色んなものを購入し始め、もうどうしていいかわからなくなっていた。ひとつも幸せではなかった。体も心もちぎれそうになっていた。

 

私はついに母親にお願いし、ある日母親のアパートに彼を呼び出した。母は私がお願いした通り、「娘をあきらめてください。親としてお願いします」と彼に土下座をした。しかし彼は「親まで出してそんなことさせるなんてずるいな」と言い放ち、まったく引く気はないという態度を貫いた。結局、母親の土下座も何の効果もないまま過ぎていった。

 

2019年10月22日。テレビでは即位礼正殿の儀が中継されていた。世の中で何が起こっていても、私はそのことで頭がいっぱいだった。「どうにかしなくては誰のためにもならない、もうあっちがだめなら、こっちに言うしかない」という気持ちだった。好きな人と暮らしながら、別の人に言い寄られるという、幸せそうで実は生き地獄のような時間にピリオドを打ちたかったのだ。

 

私はその日、元彼とプールに行った。その帰りに新しくできたカフェに行った。

そうして2回目の別れ話を切り出した。

元彼はひとこと「ほぅ・・・」といった。そして「わかったよ。さようなら~」と静かに言った。「もう1回言われたら、別れようと思っていたんだ」と口にした。

 

私は「もうしんどくなったんだ」と言った。

彼は「何がしんどかったかね?」と聞いてきた。

「あの人に言い寄られながら、あなたのいる家に帰る生活かな」と答えた。

 

「もう、あの人があきらめてくれない以上、わたしはにっちもさっちもいかない生活をしている。あなたがこうした現状をよく思っていないこともよくわかってる。あなたは怒りがありながらも静かに暮らしてくれたことも感謝している。そういうあなたが大好きだったし、今も大好きだけれど、私はあの人の気を収めるためにも、1回付き合ってみるという選択をしたい。付き合ってみて合わなければ、あなたとの別れは互いにとって無駄死にというか犬死にみたいな別れにはなるけれど、それでいい。とにかく今、私はあの人の気を鎮めるために、1回付き合ってやろうという気持ちでいる」と言った。

 

元カレは黙って聞いていた。そして「荷物、少しずつ出していくのでいいけ?」と、

聞いてきた。「もちろん、もちろん」と答えた。元彼は土日や休みの度に、少しずつ荷物を運び始めた。

 

そうしてある夜、私が編集で遅くなった日、2人の部屋はもぬけの殻だった。

そして手紙があった。「人生の中で重要な時間をいっしょに過ごすことができてよかったです!いっぱいいっぱいありがとうございました。楽しかったです」と書いてあった。そして部屋代がいつもの月より多く添えられていた。私は呆然として一緒に寝ていた和室で大泣きした。泣いて泣いて、大泣きした。

 

20代、30代と私にとっても人生の中の宝物のような時間だった。本当にいい人が隣にいてくれたと今でも思う。

 

それでいてどこかほっとする自分もいた。これで楽になれる、あっちの顔色をうかがい、こっちの顔色をうかがう生活から解放されるんだと思った。

 

2019年は20年連れ沿った恋人と別れ、江戸時代から続く実家・土蔵を取り壊し、20代のときからつけていた日記がクラウド上ですべて消えた。「別」以外に思いつく漢字がないくらい空っぽになった年だった。

 

元彼と別れた後、私は「長い間、お待たせしました」と、新たな恋人に言った。

私に大切な恋人との別れを促した張本人が、これから人生を共にする人になった。