他人の人生相談
他人の人生相談を聞くのが好きだ。
決して冷やかしとか、面白半分などではない。
相談事にこそ人の本質が表れるし、相談員が何と答えるかも興味深い。
人生相談は一種の文化であり、真面目なエンターテイメントだとも思う。
母もよく「ラジオ人生相談」を聞いているようだ。
「きょうはこんな相談者が、こんな相談をして、相談員はこんな風に答えていた」と、要約して話してくれる。
先日、母と2人でラジオ人生相談を聞いていたら、年配の女性が相談をしていた。
声の感じはふてぶてしい感じ。
「私はどこへ行っても人にケンカをふっかけてしまい、職場を転々としている。イラつきがおさまらない」というような内容だった。
母と私は「ありゃ~。この人、職場のトラブルメーカーなんやな。確かにこんな人が職場におったら嫌だわ。嫌われそうな感じ。こんな女性にケンカふっかけられたら面倒だな」などと思いながら聞いていた。
が、男性心理カウンセラーの回答は驚くべきものだった。
「あなたは人にケンカをふっかけることで、自分を守っていたんですね。そうしなければ、あなた自身が『鬱』になっていましたね」と。
えっ?人にケンカをふっかけなければ、自分が鬱になる!?
母と私は驚いて耳を澄ます。
女性はようやく自分のことを理解してくれる人がいたと思い、嬉しかったのだろう。
涙声で「そうなんです、そうなんです」と言うではないか。話すトーンも急にしおらしくなっている。
嫉妬、イラつき、承認欲求・・・
そうした感情を己に向けて自分が鬱になるか。人に当たり散らすことで自分を保つか。
この女性は後者だったというわけだ。
結局この女性のイライラの根源は、自分を理解してくれる人がいなかったことなんだと思った。プロは思いもつかない角度から人を救うものだなぁ…と、唸らざるを得なかった。
新聞でも「えっ?これ本気で言っているの!?」と思うような相談を見ることがある。
私の中で印象的だった2つの相談を紹介しよう。
1つ目は「友人の子どもはみんな進学校に行き、有名大学に進学した。子どもをいい大学に入れて、自慢したかったのに全く逆の結果になってしまった。優秀な子の親が羨ましくて仕方ない。友人は事あるごとに子どもの学校の名前を口にするので、付き合いを絶った」というようなもの。
相談員は「子どもは親のアクセサリーではありません。自慢の道具でもありません。厳しいことを申し上げるようですが、入試の結果だけで我が子を恥ずかしいと嘆く親こそ、お子さんも恥ずかしく思っているのではないでしょうか」と答えていた。
もうひとつは、孫娘に買った服を嫁が着せないという相談だ。そもそも嫁が妊娠した時に「男の子じゃなくてがっかりした」と言ったため、嫁は「お義母さんにだけは洋服を買ってほしくない」と拒否しているようなのだ。
相談者は「嫁が生意気な態度をとり、孫を独り占めしようとするのが許せない。孫を置いたままで彼女を出て行かせようと思いますので、アドバイスお願いします」と息巻いている。
相談員は相談者の肩を持つどころか「嫁に孫を置いて出て行かせたいとは言語道断です。もしお孫さんと楽しく過ごしたいのなら『悪かった』と謝ることです。『男の子でなくてがっかりした』という言葉ほどお嫁さんを傷つける言葉はありません」と諭していた。
テレビでは美輪明宏さんの人生相談も拝見している。
美輪さんの神々しいお姿とお言葉にくぎ付けになる。
ある相談者が「いちばん欲しいものがいつも手に入りません。いちばん好きだった人とはおつきあいすることもできず、いちばんなりたかった職業には就けず、あまりにも得られないことが続き、これから先もどうせダメなんだろうと諦めてしまいそうになります」と言っている。
美輪さんは何とお答えになるんだろう・・・と気になった。
美輪さんがゆっくりと言葉を放つ。
「欲しいものが全部手に入ったらどうなると思います?虚脱状態になるんですよ」と。
「あれも欲しいこれも欲しいと夢を見ている間がいちばん幸せなんですよ」と。
―虚脱状態―
その言葉に圧倒された。
それ以来、私は物事が思い通りにいかないとき「虚脱状態」という言葉を頭で反芻することが増えていった。
願っていることが、するするっと叶ったらどんなにいいだろうと思うが、そうなると「虚脱状態」とやらになるらしいぞ、と自分を納得させるために。
美しい女優、人気の俳優が自殺したとき、なぜ、なぜ、なぜ、と思った。悔しかった。
美しさ、お金、地位、実力、人気。はたから見れば、何一つ欠けていない人たち。
あなたたちは、私の欲しいものをすべて手に入れているではありませんか、と叫びたかった。地べたを這いつくばって生きる自分の人生と交換してくださいよ、と思ったのは私だけではないはずだ。
あの人たちは「虚脱状態」だったのだろうか―。
「悔しい」「ずるい」「なぜあの子が」「見る目がない」「うまみがない」「しゃらくさい」
ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。
口には出さないが、私が心の中で吐き出す言葉たち。虚脱感とは対極にある感情たち。
ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。ぐちぐち。
しかし、これらはある意味「生きる原動力」になっているのだろうか―。
答えが出ないまま、私はまた他人の人生相談に耳を傾ける。
気の抜けた炭酸
気の抜けた炭酸が残念な味のように、
1月5日以降に届く年賀状なら「もういいかな」と思うように。
時期を逸したものは、同じ手間をかけていても、同じコストがかかっていても、そのありがたみはがくっと落ちてしまう。
ほどほどのクオリティーでもいい。「了解」だけの返信でもいい。
「早い」仕事の方が、よほど価値があると思うのは私だけだろうか。
最近、私のまわりの流れが滞っている。
待っているメールの返信が来ない。お礼メールのレスも来ない。色々なことが止まっている。
いよいよ「大量のメールにまぎれて、私が誤って捨ててしまったのかも・・・」と自分を疑い始める。そうしてメールBOXのごみ箱をチェックするという余計な仕事を増やしてみる。しかし、ないものはなかった。
思い出系のシェアも「当日」か「翌日」を逃したら、もう気の抜けた炭酸状態だ。
みんなでシェアしようと撮った写真がその日のうちにシェアされないなら、その人のカメラで撮りたくない。
結婚式や文化祭などのイベント動画が数カ月経っても届かないなら、せっかくの撮影や編集の手間をおもんぱかっても、感謝の気持ちは薄れていく。そんなに凝らなくてもいいから、気持ちの熱いうちにぱっとシェアしておくれよと思う。
結局、私の手元に届くころには、すでにそのことから関心が薄れている。
私が日々締め切りに追われる現場にいるから、せっかちというわけではない。
プライベートな情報や作業にこそ、賞味期限というものがある。
たとえば何かのイベントで出し物をして大いにウケて、その様子を誰かが撮ってくれていたとして。その日のうちに送ってくれれば、仲間内でわぁきゃあ言いながら見て大盛り上がりできるけど、それが数か月後に送られてきたら…。一体誰がどんな気持ちで見るというのか。
どんなにきれいに編集されていても、すてきなテロップやBGMがついていても、もうその事柄に対し、誰しも興味が失せているのだ。
そんな加工はエゴの押し売りだ。同じことをするなら、早い方がぜったいに喜ばれる。
私は一口目から刺激の強い、強炭酸が好きだ。
真の幸せ
「幸せだぁ・・・」としみじみ思うことがたまにある。
それは何も特別なイベント時ではない。日常の、本当に何気ない瞬間だ。
富山県は去年「幸せ人口1000万〜ウェルビーイング先進地域、富山〜」を打ち出した。県民が生き生きと自分らしく暮らし、そんな富山県に魅力を感じる多くの方が富山に集い、共に発展していくことを目指すという。
富山県民100万人だけでなく、富山で仕事をする人、よく訪れる人、生まれ育った人など愛着を持って関わるすべての人が、富山の仲間だというのだ。それが『幸せ人口1000 万』とうたっているゆえんである。
ウェルビーイング(well-being)とは、肉体的にも、精神的にも、社会的にもすべてが満たされた状態。「真の幸せ」という意味だ。最初は聞き慣れない言葉に戸惑い、きれいごとに聞こえていたが、徐々に馴染んできた。しかし幸せは行政から提供されるもの、というより、自身から込み上げるものだと思う。
今年に入ってから、「あぁ、幸せだなぁ」と噛み締めることが数回あった。
はっきりと覚えているのは今年の2月。
その日は加圧トレーニングをして、棚の整理をするための板をホームセンタームサシに買いに行って、家に帰ってきてはめてみたら2センチほど足りなくて、ショックを受けつつ交換に行って、2回目はぴたっと棚に板がハマった日のことだ。
その夜は友人と焼き肉に行く約束だった。とても楽しみだったので、それまでに面倒な用事を済ませてしまおうとガシガシ動いていた。しかし、友人の仕事の都合でその約束がドタキャンになった。残念だったけれど、おかげでこれまで見て見ぬふりをしてきた「板問題」も解決したことだしと、私はひとりサウナに出向いた。
サウナの整いベンチに横たわっているとき「このまま、富山にいたいなぁ」と思った。ここにいるとまわりと比べて自分を卑下することも少なく、居心地がいい。好きなことを極められるし、腹を割って話せる友人がいる。「一緒にいると、ウェルビーイングが上がるね」などと言い合いながら、だらだらとしゃべる時間が尊い。
ああ、幸せ。このままこの幸せが続きますようにと願いながら、寝転がったあの感覚が忘れられない。
次のウェルビーイングが訪れたのは5月19日。
前日の天気予報では全国的に暑くなると言われていた。
私は休みだったのだが、じっとしておれず取材に行くことにした。
結果、その日は富山市が30・3℃の真夏日となり、全国1位の暑さとなった。
行ってよかったと思った。リポートはカットされていたけど、やるだけやった感があった。カットされてもいいのだ。自分で納得いく取材ができたかどうか、が重要なのだ。
その夜、私は自分へのねぎらいも込めて大好物のアヒージョを作った。
友人にその写真を送ったら「ナニージョ?」と粋な質問が来たので、
「ホタルイカ、カニカマ、ウインナー、プチトマト、マイタケ~ジョ」と答え、具材とオイルをつぎ足しながら3杯ほどお代わりした。
そして例のごとく満腹になり、私は倒れ込むように床で寝てしまった。
背中が痛くて夜中の3時ごろにベッドに移動したことも、悪くない思い出だ。
最近では、写真展の在廊にも慣れてきた5月23日。
母と加賀カニごはんを食べに行く日のことだ。
出かける前、母は「きょう私の葬式用の写真を撮って」と言ってきた。
いわゆる遺影撮影だ。
縁起でもないと言いつつ「元気な時こそ、いい写真を撮ってあげるべきだな」とも
思い、一眼レフを持って出かけた。
その日は快晴だった。カニごはんの後に私のパワースポット加佐の岬に行った。
母の葬式用の写真をパパっと撮る。そうしているうちにいろいろとアイデアが湧いてきた。ちょうど一眼レフもあることだし、と作品撮りもしてみることにした。
わたしは「ファインダートかもしれん」と母にモニターを見せた。
ファインダートとは、今回の写真作品展のプロデューサー市川篤氏が私のためにつけてくれたタイトルだ。「ファインダー」+「アート」で「ファインダート」
すごくかっこいいタイトルだが、「おやじギャグの部分も含まれているんですけどね」と聞いて笑ってしまった。
ウェルビーイングやら、ファインダートやら。
最初は慣れない横文字も、繰り返していくうちに自分のものになっていくから不思議だ。
母が私のモニターを見て「ファインダートだねぇ」と言った。
私は「ね!ファインダートやろ~?」と言った。
2人で「ファインダート、ファインダート」と言って、笑って、撮る。
喉がからからになって、海が見えるカフェ「うみぼうず」でマスカットソーダを飲んでいるとき、私はまさにウェルビーイングだった。
こうして書いていると、自分がウェルビーイングになりやすい状況がわかってきた。
その感覚は、詰めるところまで詰めて、弛緩したときに訪れやすい。
一時(いっとき)のウェルビーイングを味わうために、日々、ああでもない、こうでもないと頭をひねり、汗をかいて生きている。人生はそんなことの繰り返しだ。
人生最長の徹夜
計算したら、33時間寝ていなかった。
その日は富山県砺波市でとなみチューリップフェア開幕の取材をした後、富山県黒部市に新しくオープンする道の駅KOKOくろべの取材にクイックターンの日だ。
富山の西から東へ移動し、リポートをし、インタビューをし、原稿を出す。くたくたである。普段なら帰ってすぐに寝たいところだが、写真展の準備が迫っていた。
帰宅後、展示する約35点の写真をそれぞれの額に入れ、キャプションなどを作ることにした。そうしたサイドを固めてから、直径1.3mの大作コラージュに取りかかろうと思っていた。
その日、深夜勤務の友人に「きょうは私も徹夜するから一緒に頑張りましょう。帰るとき教えてね」とLINEしておく。友人からは、午前3時半に「そろそろ店仕舞いします。おやすみ」と連絡がきた。
私は「ギラギラしてます!まだ私は寝ない!!アドレナリン!」と返信し、作業を続けていた。今読み返すと、なかなか鬼気迫る文面である。
まわりの写真たちの整理やキャプション書きもそれなりに時間がかかるもので、知らぬ間に朝になっていた。午前6時半、世の人々は起き出す時刻である。
私は一睡もしていないのだが「よし、今起きたことにしよう」と自分をだますことにした。「私は今、すっきりと目覚めて、新たな気持ちで作業に入るのだ」と自分に言い聞かせる。徹夜していなかったことにして、作業を続けようという腹である。
結局サイド展示のめどがついたのが午前7時30半過ぎ。
それから直径1.3mの大作コラージュに取りかかることにした。
スプレーのりでプリントを貼り付けていく作業なのだが、失敗したら取り返しがつかない。特に最初の1枚は1ミリもズレないように、マスキングテープで印をつけ、体幹に力を入れ、息をひそめて「えいや!」と張り付けた。
最初の1枚がうまくいったので、その後も集中して作業を進められた。
その間に、P(プロデューサー)から連絡が入る。
トークショーのことや、作業の進捗状況を尋ねるものだ。
アドレナリンがどんどん出てきて、ますます眠くない。
目途がついて休憩しようと思ったのが午後2時半。
眠りに落ちたのが午後3時ごろなので、33時間連続して起きていたことになる。
受験勉強をしていたときも、仕事に追われていたときも、こんなに長く連続して起きていたことはない。
年齢を重ね、もろもろ体の機能は落ちてきているのだろうが、それを上回る「やりたいこと」「アドレナリン量」が増しているんだと思う。体力お化け、気力お化けな感じ。
備忘録として書いておくと、Pと打ち合わせしたのが4月16日(土)その日にメイン作品の土台を業者(白山市のかゆう堂)に発注し、完成した土台を取りに行ったのが21日(木)。22日(金)の仕事終わりから23日(土)にかけて徹夜をして大作を仕上げ、24日(日)は、前々から予定を入れていたホタルイカと紅茶の宴に出席した。
Pからは「ホタルイカを食べているということは、大作は完成したんですよね?どんな仕上がりか、見たいなぁ~」と言われ、恐る恐る写真を送る始末。そして「中田さんらしくて、とっても良いと思います!お疲れさまでした!」とOKサインが出た。
というわけで、出来立てほやほやの作品に会ってやってください。
中田絢子 写真作品展
FINDART vol.1 ーWishー
会期:2022年5月1日(日)~29日(日)土日祝日のみ開催
10:00~17:00 (最終日~16:00)
会場:ガラス工房 スタジオ・プラスG 石川県金沢市大野町2-39
入場無料 近くに「大野町まち歩き駐車場」があります そこにお停めください
【記念クロストーク】プロデューサー・市川篤×作家・中田絢子
5月1日(日)14:00~15:00
話題の賞味期限
絶望に打ちひしがれたとき、吐きそうなほど追い込まれたとき、乗り越えられそうもない壁が立ちはだかったとき、「ねぇ、聞いて~」と親しい人にこぼしたくなる。
しかしその「ねぇ、聞いて~案件」は、旬なうちに話してしまわないと終わりだ。
きのうまで「このことは絶対あの人に聞いてもらおう」と思い会話のシミュレーションまでしていたのに、一日経つともはや私は何に心震え、どう話そうとしていたのか、自分でも忘れてしまっているのだ。
前日の新聞は読む気がしないように、「旬」を外すと、プライベートないざこざすらも「古い案件」になってしまう。
先週は死ぬほど色んなことがあったのに、話を聞いてほしい相手に会ったときには、あらゆることが忘却の彼方だ。結局、きょうの出来事しか話せていない。どんどんどんどん気持ちは上書きされ、良いことも悪いことも「旬」な話題ではなくなっている。
そう考えると、人の心の動きもニュースと同じなんだと思う。
本当に聞いてほしい話はその日のうちに伝えないと、なかったことになってしまう。
先週は脳みそを130%フル稼働して過ごし、帰ってきたら倒れこむように眠る日々だった。
月曜日は残業中にキムタクが「帰れま10」で寿司を食べている映像を見てしまい、たまらず23時まで営業している回転すし店に駆け込んだ。タッチパネルでの注文、セルフレジでの会計…。誰にも気を遣わず「無」になって、格安でうまい寿司を頬張った。
火曜日は美容院に行った後、いよいよ自らの写真展の準備に取り掛かった。
一人で人間コンパスになりながら、1m50cmもある円の下敷きを作ったりした。
しかし、それはでかすぎて車で持ち運びできないことが判明し、夜の立体駐車場で途方に暮れた。
水曜日は、企画もののテロップチェックや情報セキュリティーテストなどデスクワークをこなし、木曜日こそほっと一息つこうと思っていたのだが、新撰組の近藤勇の甲冑が発見されたというロマンあるネタが舞い込んできて、「うぐぐ。私、戦国時代詳しくないんだよね…」と言いつつ、一から歴史の勉強をして取材にあたった。
金曜日は5時半起きで立山黒部アルペンルートに行ったあと、Abox Photo Clubとやまの写真展にお邪魔し、塾長や仲間と話をして刺激を受けた。
そして土曜日、いよいよ自分の写真展の打ち合わせの日。車で持ち運べない円の解決策などを提案してもらい、一人ではぐらついていた方向性が見えてきた。しかし搬入は今月29日。あと2週間ない。しかも日中はがっつり仕事に時間をとられてしまう。
「日々の仕事」「中期の仕事」「写真展の準備」を同時並行させ、そこに突発の案件なども入ってきて私を苦しめる。こんなブログを書いている暇に、すべきことをすべきなのはわかっているが、書いて気持ちを整理しなければ取り組めない。
「ねえ、聞いて~」と、もう誰かに甘えている暇はないので、こうして書いて気持ちを浄化しようとしている。
そんなとき、母から届いたラインに考えさせられるものがあった。
私が桜の遊覧船やチューリップ畑からリポートしている映像を見て「毎年、綺麗だね。アヤは桜もチューリップも仕事で見ているから、プライベートでお花見したいとは思わないんだね。エイム(母が通うスポーツジム)では、どこが良かったとか、あそこへ行ったとか、誰と行ってきたとか、話題は花見だ。土日は館内もいつもより少なかった。天気がいいからお花見かな。羨ましい。」と。
純粋にお花見に行った人を羨ましがるメールだ。
時間の流れが私とまったく違う。これが世間の流れなのか、と思う。
私は「なるほど!みんなお花見したいんだね。おかんもどこか行きたかったの?」と返した。
すると母は「この時期はどこへお花見に行ったかは自慢話なんだ。私は行きたいが言えない。あんたは忙しそうだし、彼氏もいるし、いつだって遠慮している。以前、Yくんが両親を連れて松川の遊覧船に乗せてお花見したと聞いて、なんと親孝行だ!と、彼のやさしさに感動した」とある。
うぐぐ。私は自分ばかり仕事で花見をして、親をどこにも連れて行かない親不孝な娘ということかー。と思う。
体がちぎれそうなほど仕事をしていても、親一人幸せにできていない。
体も脳みそもフル回転して生きているのに、親を花見に連れていく、こんな簡単なミッションができない自分を恨めしく思う。来年は連れていくよ、と心に誓う。
こんなことも「ねぇ、聞いて~」と誰かに話したかったのだが、誰にも話せないうちに
立山黒部アルペンルート全線開通の日を迎えた。18mもある雪の壁の間でリポートしつつ、またおかんは羨ましいんだろうなと思ったりした。
さて、このブログをアップしたら写真展の準備に取り掛かります。
中田絢子写真作品展「FINDART vol.1ーWishー」
会期:2022年5月1日(日)~29日(日)
土・日・祝日のみ開催
10:00~17:00(最終日~16:00)
会場:ガラス工房スタジオ・プラスG
Gallery
石川県金沢市大野町2-39
誰が為の戦争か―
久しぶりに金沢のマンションに帰ったら、駐車場に母と恋人の車があった。
母はスポーツジムから帰って、ぬくぬくしているのだろう。
彼はすでにお酒を飲んでいるに違いない。今夜はアメトーーク!の家電芸人が紹介していた圧力ジャーで、スペアリブを作ってくれると言っていた。
愛する2人がこのマンションで私の帰りを待ってくれている。
部屋に電気がついている。こうしたことが、いかに幸せかを噛み締める。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、私は憤りでおかしくなりそうだ。
戦争はいつの世も、まるで石ころを蹴るかのように簡単に始まる。
一部のトチ狂ったエゴイスト(利己主義者)によって。
人を殺せば「殺人」
人を傷つければ「傷害」
人の車にコインで落書きをすれば「器物損壊」
日常生活ではそれぞれの罪で起訴され、裁判にかけられる人たちも、ひとたび戦争が始まれば、きのうまでの罪が正義にすり替わる。
病院の上に爆弾を落とそうが、テレビ塔を爆破しようが、人々の家を破壊しようが、
文化財を燃やし尽くそうが、老人や子どもを殺そうが、おかまいなしだ。
懲役1000年の罪を背負うべき者がのうのうと生き、人々の住み家を、作り上げた文化を、愛する人を奪っていく。
そんなに戦争がしたいのならば、戦争を始めた国のトップが人間魚雷に乗って戦艦に突撃すればいいのだ。片道燃料で敵機に突っ込めばいいのだ。
なぜ戦争をしたくない一般市民が、狂ったトップのために、家を失い命を落とさねばならないのか。
小学校で歴史を学んだあのころから、私は日本に原爆を落としたアメリカよりも、国民を戦争に巻き込んだ日本の軍部に怒りを感じていた。今もあのとき感じた感覚は正しかったと思う。国民の敵はアメリカではなかった。
自己の名誉のため、自国民の命を命とも思わず突っ走った軍部のトップこそ、日本国民が最も憎むべき相手だったのだ。
今ロシアでは「戦争反対」と声をあげた人々が、次々と逮捕拘束されている。
人々から自由な発言や活動を奪った治安維持法が、時代を超えて違う国で発動されているように見える。
あれほど先人たちが痛みを語り伝え、平和教育が広まり、情報伝達のツールが発達しても、また第二次世界大戦時と同じことを繰り返すのかと愕然とする。
里帰りをしたとき、祖母の顔を見に行った。
祖母は私の帰りに合わせて、サツマイモのチップスとポップコーンを作って待っていてくれた。
父と折り合いの悪い祖母は「テーブルに、透き透きじゃないアクリル板を置きたいわ」と言って私を笑わせた。「透き透きじゃない」というのは「透き通っていない、透明ではない」という意味だ。
父の顔が見えないよう不透明なアクリル板を置いて、一人でせいせいとごはんを食べたいというのだ。
89歳にもなる祖母が時事ネタを織り交ぜ、父をチクリと刺すようなことを言っている。日常会話のユーモアも冴えている。
こうして家族となんでもない話をし、ああでもない、こうでもないと生きていく。
ときにつまらぬことで口論し、悔しがり、それでも笑い合い、思いやる。
こういう日常生活の営みこそ、人生で最も尊いことではなかろうか。
一般国民は領土の拡張なんてどうでもいいのだ。
温かい部屋で愛する人と食事ができる、そんな日常があればいいのだ。
戦争をしたいなら、言い出した者が人間魚雷に乗れ。
自分が指揮を執りたいならば、せめて家族を特攻隊に出してみろ。
私は普段、政治的な話をする方ではないのだが「戦争は絶対にしてはならぬ」という
気持ちは揺らいだことがない。
自称ストーカーに会いに行く
2022.2.26(土)晴れ
昨年末、心の友ちーちゃんから気になる連絡があった。
「私の親友が、私経由のフェイスブックで絢ちゃんの投稿を見ていて、めっちゃ会ってみたいと申しております~。差し支えなければご紹介したく。彼女も一緒にご飯、またはお茶はいかがかしら~。たぶん仕事ができるオンナ同士、気が合うんじゃないかな~」
こんなことがあるのだろうか。
大変光栄だが、ちーちゃんが「盛って」言っている気もする。話の流れで「フェイスブックにブログアップしている絢ちゃん、私の知り合いだよ。会ってみる~?」みたいな軽い流れだったのではなかろうか。向こうから私に「会いたい」なんて言うだろうか。ちーちゃんは仲人上手だから、人と人を繋げるのが上手なのだ。
それでも嫌な気はしない。「もちろんです!いつもすてきなご縁をつないでいただき、ありがとう!私もお会いしたいです」と返す。
それから年末年始をはさんだり、大雪に見舞われて外出どころじゃなくなったり、オミクロン株が猛威をふるい始めたりと、なかなか会うことが叶わなかった。お誘いから2カ月後、ようやく私に会ってみたいと言ってくれているYちゃんに会いに行くことになった。
Yちゃんはもともとマスコミ業界にいた子でテレビにもよく出ていたので、むしろ私の方がよく知っている。
大きな目、厚い唇がセクシーで、安定感のある落ち着いたナレーションが魅力的な女性だった。年齢は同世代くらいだろうと思う。あのお方が、私に会いたい???
半信半疑だが、土曜日の朝、ちーちゃんと一緒にYちゃんが住む黒部に向かった。
11:30に黒部のカフェで待ち合わせだ。
この日は天気がよく、立山連峰がくっきりと見えた。
雄大な山々を見つめながら、わくわくと緊張が入り混じる。
Yちゃんとの待ち合わせまでに時間があったので、富山大和 黒部サテライトショップなるものに入ってみる。食料品やお持たせ品がメインで、雑貨や婦人服も少し販売されていた。
私はちーちゃん大絶賛の「岐阜栗せんべい ふる里歳時記」なるお菓子を買い、ちーちゃんは「ようかんバイキング」と題されるコーナーで、一口ようかんを見繕っている。バイキングと書いてあるものの、買った個数分だけ値段がかかってくるので、バイキングではない気もする・・・と思ったりする。
11:30。Yちゃんとカフェの駐車場で、ごあいさつ。
「こんな遠くまですみません~。図々しく会いたいなんて言ってしまってすみません。絢ちゃんのブログは本当によく読んでいて、更新されなかったら、まだかなまだかな、と何度も見たりして・・・。異動になったときは、シリーズもので何話も書いてましたよね? 次が読みたくて、次の更新いつよ!?と思ったりもしてて。ちょっと油断してると、シリーズの③とかになってて、慌てて①から読み直したり。ストーカーみたいにチェックしてるんです。あの文章のどこまでが本意で、どんな思いで書いてるのか知りたくて。すごく読ませる文章で、ぐいぐい引き込まれてしまって・・・。絢ちゃんの影響で、私もブログを始めたんです!」とおっしゃるではないか。
ひとことごあいさつしただけで、社交辞令ではない熱を感じた。
Yちゃんは本当に愛読してくれている・・・。
激アツなあいさつもそこそこに、カフェに入る。
パスタランチのドリンクを選ぼうとメニューを見たら「ミルクセーキ」とあった。
ランチドリンクってコーヒーか紅茶か、ジンジャエールかジュースが定番だと思うが、そこに見慣れない「ミルクセーキ」の文字を見つけ、珍しい物飲みたさでそれを選ぶ。ミルクセーキって、もしかしたら人生で初めて飲むかもしれない。
ちーちゃんもYちゃんも「私もそうしよ~!」と、3人ともミルクセーキにした。
とてもおしゃれなお店で、出されるお料理も最高に美味しい。
店内ではご時世柄、ほとんどの人が無言で食べている。
きょうは美味しいものを食べるより、しゃべりたい・・・。
3人の思いは一致している。
しかしマナーは守らねばならない。
痛し痒しの状態で、目の前のお料理と向き合い、ほぼ黙食状態だ。
となりに座ったYちゃんが、しゃべりたくてうずうずしている感じが伝わる。
「私もだよ、私も同じだよ・・・」
そう心の中で思っていると、Yちゃんから驚きの提案が!
「絢ちゃんちみたいなお城ではないんだけど、本当に小さい部屋なんだけど、うちに来て思いきりしゃべらない?」と。
もっともパーソナルなスペース、自宅を提供しますというご提案が飛び出したのだ。
初対面なのに!なんたる心の許しよう・・・。うれしい。その気持ちが嬉しい。
「絢ちゃんちみたいなお城」という一言にもツウな一面を感じる。
いかに私のブログを読んでくれているかがうかがえるのだ。私はブログの中で我が家のマンションについて「お城ができた」「お城に引っ越しだ!」などという書き方をしていたのだ。
お邪魔させていただいたマンションは、きれいで居心地がいい空間だった。
テレビの上にウエディングドレスを着たYちゃんと旦那さんの写真が飾られている。
美男美女過ぎてため息が出る。
旦那さんお手製の切り絵も見事なクオリティーだ。
一日中このリビングで過ごしていたい。
ちーちゃんが買ってくれたケーキと、Yちゃんが用意してくれたお茶で、マスクティータイムが始まる。
「北陸」という閉鎖的な地で「マスコミ業界」という戦場にいた3人は、土壌が一緒だから、どんな話題になってもすーっと話が進んでいく。共通の知り合いも多く、話の内容もリズムも心地いい。聞き上手で話し上手の3人の会話は、そのまま録音してラジオにしてしまいたいくらいだ。が、ラジオにするとやばい情報も多々含まれていて、それがまた面白い。Yちゃんは自身が発案した大きなプロジェクトの裏話を、ちーちゃんは今企んでいることの途中経過を話してくれ、大いに盛り上がる。
Yちゃんは私のことを「北陸にこんな女性がいることが驚きだった」と言ってくれた。「全力で仕事をして、それでいて恋もしていて、お城もあって、文章も書けて・・・みんなが欲しいものを全部持っている。出る杭は打たれる地域で、自分の意のままに好きなように生きている。都会ではそういうタイプの女性も多いが、ここでそういう風に生きている絢ちゃんに会って話をしてみたかった」と。
なんたる誉め言葉だろうか。真逆ないじわるな見方をすれば「仕事しかせず、いい年をして結婚もせず、実家が少し土地持ちらしいけど、下品になんでもひけらかすように書いている嫌な女」となる案件だ。
確かに北陸は「いい時期に仕事をやめ、結婚し、子どもを産み育てていく」ことを良しとする感覚が根強く残っている。
「結婚しなきゃというプレッシャーはなかった?」と聞かれた。
古い感覚の祖母や父はそう思っていたかもしれないが、私には何を言っても仕方ないと思ったのか特段何も言ってこなかった。母は「本当に子供はいらないのか?可愛いもんやぞ」と言っていた。「子供は可愛いもんだ」という母の言葉は、つまり私や妹が可愛いという意味が含まれているため嬉しいなぁとは思ったものの、私は家庭を持たない気ままな人生を自身で選択して今に至る。
Yちゃんは何度も「私、絢ちゃんのストーカーで」と言っていた。
確かに私のブログを細部まで読んでいないとわからないことまで知っていた。
「実は・・・」と、告白めいて話そうとしたことも、「うん、知ってるよ。ブログに書いてあったから」と言って私を驚かせた。
私のブログに登場する彼の年齢層や性格までもプロファイリングして、見事に言い当ててきた。
私のブログはコソ読み族が多いことは自覚しているが、こんなに素敵な人までコソ読みし、分析までしてくれているなんて感激だった。
私は責任をもって「全公開」にし、誰に読まれてもいいという覚悟でアップしているので、ストーカーでも何でもない。
むしろYちゃんのことは「プラチナ読者」に認定し、何か特典をつけたいくらいだ。
初対面と思えぬほど大盛り上がりのティータイムを終え、17:00ごろおいとまする。
きょうのこと書いてもいい?と聞いてみる。
「きゃ~!あのブログに書いてもらえるなんて、ストーカー冥利に尽きるぅ」と、
どこまでも私を気持ちよくしてくれるYちゃん。
Yちゃんは帰りにトラのふきんをお土産にくれた。トラ?何でだろう??と思っていたら「寅年にちなんで」とのこと。うれしい!
ちーちゃんは帰り際に「きょうはありがとう」と、大和の包みを渡してくれた。
ん!?あっ!!朝買っていたようかんバイキングのようかんではないか!てっきりちーちゃんが自分用に買っているんだと思っていた。ようかん好きなんだなぁ、と思っていたら、私へのプレゼントだったのか。みんな、粋だ・・・。
刺激的で楽しい1日だった。
自己満足と自己浄化のために書いていたブログが、こんな素敵な出会いをもたらしてくれるなんて、書いていてよかったとつくづく思う。
実は去年、それなりに力を入れてあるエッセイコンテストに応募していた。良い知らせが来るなら今月中だったのだが、何の音沙汰もなく2月が終わろうとしている。
「あぁ・・・芽が出なかったな・・・」と思っている矢先に、こんなに素敵な時間が持てた。Yちゃんとの出会いは、エッセイコンテストの賞状より価値があった。
捨てる神あれば、拾う神あり。
腐らずに書き続けていたことのご褒美は、思ってもいない形で降ってきた。