あのころ、作家になりたかった
1月はとても忙しかった。
まあ、自分が悪いのだ。調子に乗って仕事を入れ過ぎた。
明らかにキャパオーバーだと思っても、一度断るともう依頼が来なくなるのでは、と不安になり「チャンスをありがとうございます」と、格好つけて受けてしまった。
県警記者クラブと県政記者クラブの幹事社業務をこなしながら(たまたま2つが重なった)、日々のニュースを取材し、さらに2本の企画を並行して進めながら、滝行リポートにも出向いた。
会社員である以上、こなした仕事量で給料が変わるわけでもない。
逆に残業が続けば「管理能力なし」と判断され、出世からは遠ざかる。
それでも仕事を入れてしまう。
どうして私はこんな風にしか生きられないんだろうと思った時、その原点を思い出した。
それは学生時代である。
あのころ私は「何者」かにになりたかった。自分の作品を世に出す人になりたかった。
私の学生時代にはSNSというものがなかった。作家になるには芥川賞か直木賞でもとるか、とんでもない実力と運を兼ね備えていないと無理な気がしていた。
池袋のリブロという書店をうろつきながら「ここに私の本が並ぶにはどうしたらいいだろうか?」と迷走していた。
書いたものを出版社に送ったりしていたが、そうそう芽が出るものでもなかった。
売れている人が「眠る時間が欲しい」と言っているのを見て、心底羨ましかった。
寝なくてもいいから仕事が欲しかった。
締め切りが迫っても作品が完成せず編集者を待たせるなんて、何様のつもりだろう。
売れっ子のそんな話を聞くたびに、腸が煮えくり返った。
時間内に仕上げることも実力のうちだろうよ、と思っていた。
私だったら締め切りの3日前には作品を仕上げ、作品をブラッシュアップしてもらう時間も残しておくのに・・・!
仕事ゼロの学生の身でそんなことを思っていた。
結局、何者にもなれないまま、テレビ局に入社した。
若いころは、無駄に怒られたり嫉妬されたりで仕事がのらず「ひとつも面白いことがない」と、不貞腐れていた。今思っても、理不尽と思えることが多すぎた。
そんな不毛な日々をやり過ごし、数年前からだんだんと自分の表現したいものが表現できるようになってきた。企画を募集しているとあらば真っ先に企画書を出し、「この枠で何か作れる?」と言われれば、全部受けた。
それゆえ「今、頭の上に鍋を置いたら、カレーでもシチューでもなんでも煮えるな」と思うくらい忙しい日々が続いた。頭のてっぺんの、特に右側がぐつぐつしていた。
考えること、処理することが山のようにあり、TO DOリストに丸をつけてもつけても、次のミッションが立ちはだかる。
夜中に帰ってくる。さっさと寝ればいいものを、感覚が振り切れてしまっている。
気付いたら、私は黒いバスローブを羽織り、白髪染めをしていた。
夜中3時、妖怪 白髪染め女 富山市内に出現す。
きれいに染まった髪を見て、あすの取材も頑張ろうと思う。
もう日付が変わっているので、あすというよりきょうになるのか・・・。
フリーランスの作家が「忙しくて眠れない」というのと、会社員の私が「忙しくて眠れない」というのは質が違うことは重々分かっている。
前者は「売れっ子」だが、後者は「ただの忙しいサラリーマン」だ。
それでも私は、今の生活に意外と満足している。
あのころ渇望していた日々が、今まさに手に入っている。
本の出版には至っていないが、テレビで自分が作った企画や番組がオンエアされることは、何事にも代えがたき幸福である。
「はぁ~忙しい~」と言いそうになる一言を、「はぁ~幸せ~」に変えてみる。
それはそれで本心なのだ。
滝修行 裏話② ~唯一の後悔~
滝修行 裏話①のつづきです(①から読んでね)
大寒の滝修行は絵になるため、アマチュアカメラマンも多く集まる。
私たちTVクルーが、滝に入ってよいか住職に許可をとろうとしているとき、行儀の悪い一部のアマチュアカメラマンから「住職はいいと言っていたよ。目の前の焚火が消えないうちに、早く浴びてくれ。焚火越しのあなたを撮りたいんだ」と、リクエストが入る。
が、そんな勝手な言い分には乗らない。私は粛々と正しい手順で撮影を行いたいのだ。
住職は私のもとに来てくださり、滝行前の儀式をしてくれた。
刀のようなもので背中を斬る。住職は「『恐れ』と『迷い』を斬っておきましたので、迷いなく滝へお進みください」と、促してくださった。
明治元年に建てられた高さ5・5mの六本瀧。
実は冷たさより、圧にやられてしまう。
どどどどどどどどどど・・・
滝に入ってしまったらあとは耐えるのみ。
難しいことはない。耐えればよいのだ。
どどどどどどどどどど・・・
圧がすごい
どどどどどどどどどど・・・
刺さるような冷たさだ
修行中、私は可能な限り目を開けようとした。
カメラマンが、どこでどんな絵を撮っているか把握するためである。
カメラマンの「もうOKだよ」という合図を見るためである。
どどどどどどどどどど・・・
しかし目の前の水しぶきで、視界はいつもの4分の1ほどしかない。
住職が私を見つめている気がする。
「もういいですよ、長すぎますよ。倒れる前に出てきなさい」と言っているようにも見える。
アマチュアカメラマンの軍勢が大声で何か叫んでいる。
頑張れ!と、声掛けでもしてくれているのだろうか。
どどどどどどどどどど・・・
しかし、滝の音がすごすぎてわからない。
あらゆる情報がうっすら入って来るが、その本意が分からない。
そうして私はゾーンに入っていく。えいっ!やー!えいっ!やー!
それが落差5・5mの滝の下の環境である。
Nカメラマンが遠くへ行った。
ラストカットのロング(広い映像)を撮っているのだろう。
カメラマンが手をあげたように見える。よし、OKが出たようだ。
私がよろよろと滝から出ようとすると、カメラマンは私に駆け寄り「まだです」と言った。
あぁ、さっき手をあげたのは「待て」の合図だったのか。
私は再び滝に戻り、修行を続けた。
後でスタッフに聞いた話によると、アマチュアカメラマンが大声で叫んでいたのは「あと半歩奥へ」と言っていたらしい。
頭の頂点で滝を受ける写真が撮りたかったようで、「あと半歩奥へ」と。
聞こえていれば対応したが、滝の音がすごすぎて聞こえなかった。
何なら私への「頑張れ~!いいぞ~!!」という声援だとすら思っていたが、まさかのダメ出しだったとは!
スタッフは続けて言った。「なかっさん、長かったですよね。いつまで浴びてるのかと思いました。住職のお経が1周してもまだ出てこないから。住職もちょっと手持ち無沙汰の様子でしたよ」と。
やはりそうだったか。何だか異様に住職と目が合うなぁと思っていたのだ。
後でVTRを確認したところ、私が滝を浴びていた時間は約2分半だった。
Nカメラマンは「滝修行の後、おじさんたちが嬉しそうになかっさんの世話してましたね。ぞうり履かせたり、手を握ったり。僕、遠くから見て笑ってしまいました」と言ってきた。
そうだ・・・。確かにそうだった。
滝修行の後、一番困ったのは足の感覚がなくなったことである。
体ではない。足なのだ。
ぞうりの鼻緒を、親指と人差し指の間に通すことすら困難になる。
そんな私におじさんたちは手を貸し、ぞうりを履かせてくれた気がする。
Nカメラマンは「ぞうりおじさん」しか見ていないようだが、実は他にも「おかゆおじさん」と「階段おじさん」がいたことを思い出す。
その日寺では無料でおかゆをふるまっていた。滝修行後、一刻も早く風呂に入りたい私に、おかゆおじさんは「おかゆ食べていかれ。あったまるぞ~」と促した。
おかゆより先に風呂に入りたかったのだが流れに逆らえず、私はずぶ濡れのままおかゆをいただいた。お寺のおかゆはお餅も入っていておいしかった。
おかゆを食べ終えた私は、いよいよ風呂に行こうとした。
あの階段の先に風呂があることは確認済みだ。
しかし、風呂場に通ずる階段でぞうりが脱げてしまった。
もうどうにもこうにも足が冷たすぎて、再び足をぞうりに通すことすら困難である。
私はふらふらとよろけ、ぐつぐつとお茶を煮ている窯に寄りかかろうとしてしまった。
するとそこに階段おじさんが飛んできた。
「そこは熱いぞ!窯だぞ!!危ないぞ!!!まずはぞうりを履かんと!」
「駄目なんです。足が冷たすぎて履けないんです」
階段おじさんは私の荷物を持ち、風呂場への道を先導してくれた。
そんなやりとりをしていると、次はアマチュアカメラマンおじさんがやってきた。
「階段降りとるところ撮らせて」と。
「それができないんです。足が冷たすぎて。ぞうりが履けなくて」
もう、ぐっだぐだである。
私はぞうりを履くのを諦め、素足で雪の上を歩き、ようやく風呂がある建物にたどり着いた。
いよいよ、待ち望んだ風呂だーーー!
が、「今、男性の団体様が入られているんで、お待ちください」と言われてしまう。
何!?風呂は男女分かれているんじゃなくて、時間をずらして入るシステムなんだっけ??もう、何もかも分からない。
私は石油ストーブの前に足を出して、10人ほどの男性たちが風呂から上がってくるのを20分ほど待った。
無事に風呂に入り、会社に帰ったのがお昼過ぎだった。
ばばっとドライヤーで髪を乾かした後、映像をチェックする。
そしてその映像を見た瞬間「やっちまったー」と、私は大後悔の渦に呑み込まれた。
私がこの滝修行を「朝メシ前の仕事だ」と言い切っていたことは①でも書いたことである。それゆえ、そこに照準を合わせた準備をしてこなかったのだ。それがダイエットだった。
年末に、断食やら、水泳やら、加圧トレーニングやらを組み合わせて絞ったアゴが、ここのところの忙しさでそれらをさぼり、元の二重アゴに戻っていた。油断していた。
滝修行はノーマスク。カメラマンは私の表情を狙い、かなりアップに撮る。
大きく映し出された映像の中で、二重アゴの私が悶絶している。
あぅあぅあぅあぅあぅ。時すでに遅し。
まあ、二重アゴにくよくよしていたのは私だけのようで、東京のデスク陣からは「そんじょそこらの芸人が勝てないリアクション」「神々しい」などとたくさんお褒めの言葉をいただいた。
↓北海道のきれいなダイヤモンドダストの映像のあとに、私の二重アゴ滝リポート
神奈川の妹からも、「あのリポートはボーナス金欲しいね」「これをかって出る女性記者はなかなかいないよ」「これが女性がやる取材体験か!?っていうところにすごさがあるね。これはすっごいわ」「お姉はあの滝行やりたかったん?頼まれたからか?自分からか?なんであんなことするんや?この極寒の時に!!」と、立て続けに熱いメッセージが入ってきた。
日々の仕事に苛立っているときは誰も手を貸してくれず、苦しんでいることにすら気付いてくれないが「わかりやすい苦しみ」って、こんなにみんなから「頑張ったね」と称賛されるだなぁ・・・と、俯瞰する自分がいる。コスパがいい仕事である。
「中田さん、来年5度目もお願いします!笑」と、冗談めいたリクエストが入る。
「もちろんでございます!こんなの朝メシ前の仕事ですから」と返信した。
滝修行 裏話① ~朝メシ前の楽な仕事~
ホワイトボードに「大寒」と書かれている。
大寒と言えば、富山では上市町の日石寺で行われる滝修行が有名だ。
地元局はニュースネタでも取り上げる。
年明け早々「今年、どうします?」とカメラマンに言われていたが、2本の特集を抱え、てんやわんやの忙しさだった私は「まぁ直前の気分で決めるわ。東京のデスクにも聞いてみてから」と放置していた。
大寒前日、私は東京のデスクに電話した。
「あす恒例の滝修行があるんですけど、どうしましょうかね?」と。
デスクは「中田さん、前もやってなかった?あす雪だし絵になるけど俺からは浴びてきてって言いにくいんだよね。パワハラになっちゃうと嫌だし。中田さん自身に浴びる意思があるなら、お願いしたいけど」と弱腰である。
あぁ、時代だなあと思う。日常会話からもコンプライアンス意識を感じる。
「他のニュースが立て込んでいるから、滝修行はいらないわ」と言われれば行かなかったが、私の意思さえあればご入り用とあらば行こうではないか。
私は「じゃあ、行ってきますわ。7年ぶり4度目なんですよ」と言った。
デスクは「甲子園みたいだね。中田選手の戦いぶりに期待してます」と返してきた。
このやりとりを聞いていたNカメラマンが、率直な質問をぶつけてきた。
「なかっさん、本当はどんな気持ちなんですか?行きたかったんですか?それとも『行かなくていいよ』と言われた方がよかったですか?」と。
私は答えた。
「本当にどっちでもいいんよ。滝修行って、私にとっては朝メシ前の仕事というかさ。
ぶっちゃけ、日々の記者業務・ディレクター業務の方がきついんよ。企画立てて、現場仕切って、原稿書いて、編集してさ。いつも現場が滞りなく進むとも限らないし、合わない人もいるし、感情がぶつかることもあるし、嫌な交渉をしなければいけないこともあるし。そんなこと思えば、滝って浴びれば終わるやん。私にとっては楽な仕事のひとつかな」と。
カメラマンは「大寒の滝修行が朝メシ前の仕事・・・なかっさん、すごいっすね・・・」と絶句していた。
本当なのだ。体を張る仕事って、別にそんなにきつくない。むしろ頭を使い、センスや能力を問われる仕事の方がよっぽどきついと思う。
私は大急ぎで御用達のGUに行き、白装束の下に身に着けるベージュの下着類を購入した。透けても大丈夫なよう、二枚重ねで挑もう。これでずぶ濡れになっても、見苦しい映像になることはないだろう。
寒修行当日。北陸地方は寒波のピークだった。朝からしんしんと雪が降っている。
カメラの場所取りのため、Nカメラマンと私は朝7時に支局を出た。
10時から住職による儀式が行われ、その後参拝者や記者も滝修行ができることになっている。
私は7年ぶり4度目なので、少し勝手が分かっていた。
まず確認すべきは風呂の場所だ。修行後は真っ先に湯船に飛び込みたい。
今年の女風呂はあの建物ですと事前に教えてもらい、行き先が分かった。
階段下のあの建物を目指せばいいんだな・・・。
一般参拝者の気迫あふれる滝修行を撮影した後、私は着替えに向かった。
滝で流れて目元が真っ黒にならぬよう、いつも目の下に入れているアイラインは入れなかった。唇が紫色になると幽霊のようになるので、元気に見えるよう赤い口紅を塗った。
カメラマンには「私は気迫でどれだけでも浴びられるから、撮りたい絵をすべて撮り終えたら合図してくださいね」と強気なことを言った。
修行も大事だが、映りも大事だ。午前10時半。私は煩悩まみれで滝に向かった。
滝修行 裏話②につづく
「私はみんなに嫌われているんです」
正月、いつもの占いの先生のところに行くのが母と私の恒例行事だ。
通うようになって、もう25年ほどになる。
じっくりと個別に占ってほしいことがある場合は予約をして訪れるが、正月の占いは挨拶がてら顔を見せて2~3分お話をするというシステムである。
しかし、毎回良いことばかり言われるわけではないので緊張する。
あるときは「私と一緒になりたいという男性がいるが、どうしたらよいか」と聞き、「あなたのことを好きと言いながら、この男にはまだ切れていない女がいますよ」と言われたり(実際に切れておらず、巻き込まれてひどい目にあった)、あることを遂行したいという夢を語ったときに「このまま遂行すれば、それをよく思わない〇〇と××があなたを潰しにきます」と言われたり(いま思ってもそれを断念してよかった)私にとっては転ばぬ先の杖のような存在になっている。
ただ、自分で「こうしたい!」という強い意志があるときは、占いで出鼻をくじかれることもある。自分の思いの後押しとなることを言われるとやる気が出るが、そうでないときは、そのとき抱いた熱い思いを封印することにもつながる。まあ、占いを無視して自分の意思を尊重することだってできるが、それはそれで大きな勇気を要する。
いつも「自分の思いに沿うような、素敵なアドバイスがもらえるといいなぁ・・・」と思うが、そんなうまいわけにはいかない。先生は忖度なしにバシバシと降りてきたことを言うので、自分の思いと真逆のことを言われることも多い。
「こうすればいいかもしれませんねぇ」というやんわりした言い方ではなく「いいのか、悪いのか」はっきりと断言されるので、力強くもあり怖くもある。
正月の占いは個別予約とは違うので、多くの人が列を作る。一人2~3分ずつ、今年の願いを話したり、そのとき抱えている悩みをこぼしたりする。小さな事務所に整理券を持った人々がごちゃごちゃと集うので、他人の話が聞こえることもある。プライベートな話はちゃんと先生も小声でしているが、「鬱治ったね、いい顔してる」とか「転職しないで今はふんばりなさい」とか「年をとると体も痛いけど心が痛いのよ」とか、その程度のことは聞こえてきて、少しショーのようになる。みんなその先生を頼ってきている、ということは同じなので、多少話の内容が漏れてもいいというアナログチックな感じで、先生との挨拶が進んでいく。
順番をついてからおよそ1時間15分後、母と私の番になった。
母は直前まで「今年は特に聞きたいこともないから、ちんと座って、先生の言うことを黙って聞くわ」と言っていた。
先生は母の顔を見ると「マンション建ててよかったね。あんた、お金あるね。お金に困らないね~」と、母の経済状況の安定を口にした。「この人はお金に困らない人なんだ―」ということが人々に知られていく。
しかし母は、先生の言葉をさえぎってとんでもないことを口にした。
「お金とか、そんなことはどうでもいいんです。それより・・・」
「なに?どうしたの?」
「私、誰からも愛されていないんです。みんなに嫌われているんです」
さすがの先生もぎょっとしている。私もまあまあびっくりした。
「みんなって誰かね?この子もかね?」
先生が私の顔を指す。
母は「そうです。私は子どもからも実の親からも嫌われ、友達もいないんです」と言うではないか。
人々の視線が母に釘付けになっているのを背中で感じる。
先生は静かに口を開いた。
「もうみんなね、この子もね、自立しているんです。親がああだこうだいらんことを言うては駄目なんです。あの男がどうやとかこうやとか。あんたはいらんことを言いすぎる。子どもが話してきたことだけを黙って聞いてあげればいいのに、あんたは質問をしすぎる。そんなの子どもは嫌がるんです。うるさいんですよ。いらんことを言わずに、子どもの話を黙って聞いてあげて、一緒にごはんを食べていればいいんです」と。
私は先生と目を合わせ、大きく頷きながら聞いていた。
普段私や妹が口をすっぱくして言っていることを改めて先生に指摘され、母もおかしそうに笑っている。
そうだ、そうだ、その通りだ!
先生、もっと言ってやってください!!
母はいつも「私は嫌われてる、友達もいない」と被害者ぶるのだが、その元凶は紛れもなく自分にあるのだ。
この前も妹の家に行っていらんことを山ほど言ったようで、妹も大層憤慨していた。「おかん、空気読めなさすぎる!」と。
3姉妹ラインという、母、私、妹で作るグループライン上でも、妹がちょっとこぼした子育ての不安について、母は「それはどういうこと?」「そのとき孫はなんて言ってた?」などと矢継早に5つほど質問をした上に、不安をあおるようなことを言い放っていた。
妹は「もういい!お母さんに相談したのが間違いやった」と書き込んでいて、私も妹を気の毒に思った。
実家に帰れば帰ったで、実の母にも生き方やお金の使い方に関して文句を言いまくっている。確かに祖母はケチだしお金の使い方もうまくない。「今ならフライパンがついてきてお得です!」といううたい文句に惑わされてトースターを買い、でも置く場所がないからといって封を開けず、物が捨てられない性格のため汚い家に住み続け、やっていることはトンチンカンだ。
しかし母は「こんな使いもせんフライパンに釣られてトースター買って!買ったなら使えばいいものを、置く場所がないからって封も開けてないし!だいたいこんな広い家に住んでトースターを置く場所がないって、おかしいんじゃない?いらんもの捨てんからやろ?畑に行く暇があったら断捨離して、きれいな家で新しいトースターを使えばいいものを!」と、ぶちかまし、実の母にも「もう家に来てほしくない」と、うるさがられている。
母のいうことは正論ではある。その通りだと思う。
私もそうすればいいと思うが、あえて口にしない。90年近くそうして暮らしてきた祖母の頑固さは変えられるものではない。
私は段ボールに入れられたままのトースターを見て見ぬふりし、断捨離ができない祖母に対し「断捨離せよ」などとは言わない。
今回の帰省中にも実家に寄ったが、祖母は「忙しくて、片付けが中途半端でね」と言ってきた。別に改めてそんなことを言わなくても、いつだって実家は片付けが中途半端で、ごちゃごちゃしているのだ。いつも母に叱られているから、私が何か言う前にそう言ってきたのだろう。私は「そりゃそうだわ。忙しいなら仕方ないわよ。元気が一番」と言ってあげる。
すると祖母はものすごい笑顔になって、私に正月料理を勧めてくる。私は「こんなすごい料理を作っていたら、そりゃあ、断捨離どころじゃないわよね」と言ってあげる。
すると祖母の笑顔は倍増し、「これも食べるか?」「あれも持っていくか?」「もう帰るんか?寂しいねぇ。まだおればいいがに」とまで言うのだ。母に対しては「お前はうるさい。もう来んでいい」という祖母が。
実は私も年末の帰省の直前に、今後の身の振り方をどうすべきか、大いに悩む出来事に遭った。年末恒例のカニを食べる会で母に話そうとは思っていたものの、「変な相槌打たれてムカつきたくないな・・・」という思いが先立った。
私は「おかん、私は今から大事なことを話すけど『あんたどうするつもり~?』とか変な相槌打って私の心を乱さないでよね。それができないなら話さないけど」と、前置きをしてから話し始めた。身内なのに、要注意人物なのだ。
カニを食べながら、私は慎重に自分の迷いを打ち明けていく。母は直前に注意を受けたにも関わらず、私の神経を逆撫でするような質問を口にした。くぅ・・・。悪気はないけれど、思ったことを不躾に口にして嫌われる人っている。
でも空気が読めない人は、読めないからこそ、苦しいらしい。何がNGなのか分からないから、自分でも怖いのだという。そうして不用意に口にした言葉で人を傷つけ、人を苛立たせ、人に嫌われ、自らも傷んでいく。
音もなく降りしきる雪を見つめて、私は年末、ある高揚感に包まれていた。人生の大きな岐路に立たされていたとでもいうべきだろうか。犠牲も出るけど、そんな道もあるかもしれない。大きく舵を切ってみようか―。
その道を選べば、2022年の過ごし方が変わってくる。私はここ1週間、その準備運動というか、準備妄想をしていたと言っても過言ではなかった。
私は先生に自分の迷いを打ち明けた。
先生はスパッと「そっちは駄目!現状維持の方がまだいい」と言い切った。
「ああ、そうなのか・・・」私はがっくりした。
新たな道を選べば、年始からもろもろ忙しく準備を進める予定だったが、もうすることがなくなった。気が抜けた。急にお腹が空いてきた。
金沢中央卸売市場前の商店街にある「金沢牛たん食堂10&10」に入る。
ケチりたくなかった。
100gではなく、120gの、通常の牛タンではなく、厚切り上牛タン定食を注文した。
分厚いタンをほおばりながら、心を整えていく。
ドライブに入れかかっていたギアを、ニュートラルに戻す。
走り出そうとしていた気持ちにブレーキをかける。
長い目で見るときっとそれが正解なのだろうけれど、今はとても空しかった。
嫌われ者の母が、私の占いの結果について自論を述べ始める。
実に気持ちよさそうに。滔々と・・・。
「また~!おかんの意見は聞いてないやろ!?今、先生に言われたばっかりやろ?今、叱られたばっかりやろ??何でそんなこと言えるん?そういうとこ!そーいうとこ!!」
私に叱られ「やっちまった」という顔をしている母。
「もー!ムカつくから、ブログに書くし!!」と言い残し、私は富山に帰ってきた。
2021年にした100のこと
2021年を漢字1文字で表すと「動」だった。
雪が降りしきる2月4日、元彼と住んでいたマンションから、祖母と母がオーナーとなる新築マンションへ引っ越した。やれやれと落ち着いた矢先に富山支局へ異動となった。新しい環境でも気持ちよく暮らそうと、観葉植物を育てたり、熱帯魚を飼ったり、今までやってみたかったことを生活に取り入れた。富山でロケをして金沢で編集するという、これまでにない働き方にも挑戦した。年末には自分のデブさ加減に嫌気がさし、断食を決行した。
その後加圧トレーニングや週に2回のプール通いで体を動かし始めた。
作家・浅見帆帆子さんのYouTubeを見ていたら、「新しい年を迎える前に、今年やった100のことを書き出すことをおすすめします」と言っていたのでやってみることにした。
「30~50個くらいは思いついても、100個なんて無理~!」と思う人も多いらしいが、「お気に入りのお総菜屋さんを見つけた」というのも立派な1項目になる、とのことだったので、楽しみながら書いてみることにした。そうやって書き出してみると「この1年色々頑張ったじゃん♪」と自己肯定感が上がるらしい。では書き連ねてみます。
【新築マンションに引っ越し】
1:2月4日(木)夕方から夜にかけて、雪の中怒涛の引っ越し
2:ラグ、布団、テレビ台など不要な家具をリサイクル券で処分
3:かめぼうを無事返却
4:ダイソンの掃除機を購入 コードレスは快適
5:西野健太郎さんから新居用の絵「月の下で」を購入 湖と馬がモチーフ
6:母の誕生日用に、寝室に飾るフクロウの絵をプレゼントする
7:粕谷千春さんの花の写真(和紙プリント)と藤城清治さんの絵画を額装
8:高商ハウジングさんから新居のお祝いに壁掛け時計をいただく
【富山に異動】
9:送別の品に「写ルンです」で撮影した写真たちをプレゼントしてもらう
10:富山の住まいを決める 第1期のときに憧れていた眺望の良いマンションに
11:富山異動用の家具をそろえる 照明やパソコンデスクなど
12:観葉植物を育て始める
13:熱帯魚を飼い始める
14:立体駐車場に慣れてきた
15:高速の運転にも慣れてきた
【恋愛】
16:新年のあいさつにネックレス×イヤーカフのセット!びっくり!!
17:合鍵を2つ渡す 金沢のマンションと富山のマンション用 信頼あってこそ…
18:春先、富山マンションのベランダで揚げ物を食べる
19:右手薬指の指輪 サプライズで2連プレゼントしてもらう
20:誕生日には紫の石のネックレスを
21:夏休みは金沢のマンションを拠点にのんびり
22:Gotoトラベル利用で志賀町別荘の旅 ハートランドヒルズ能登
23:珠洲の酒蔵「宗玄」のトンネル貯蔵庫を見学
24:2人で牡蠣を半斗缶分食べた
25:クリスマスプレゼントはクリニークのリップ5本セット
26:年末はふるさと納税の海鮮を「アミ焼大将」で焼いてもらった
【金沢で作った企画】
27:1月5日(火)OA おせちに飽きたらたこ焼き
28:1月19日(火)OA ヒスイ海岸とたら汁街道を巡る
29:2月2日(火)OA すごいぞ!梅のポテンシャル
30:2月25日(火)OA お一人様焼き肉のススメ
31:3月2日(火)OA ヘルジアンウッド
32:3月17日(水)OA 魅惑の罪悪感メシ
【富山で作った企画】
34:6月15日(火)OA 新緑の黒部峡谷
35:10月5日(火)OA フクロウと触れ合う癒やしカフェ
36:10月12日(火)OA 五箇山和紙の里
37:11月9日(火)OA ドキドキの開運祈願 庄川水記念公園
38:12月3日(金)OA 名作「人間失格」の舞台裏
【写真関係】
39:アメイジングトヤマのポスターに軽トラに寄りかかる女性の写真が採用される
40:エアリーフローラ2021 インスタ投稿でエアリーフローラが届く
41:これまでと違った視点・モードで写真を撮り始めた(個展用に挑戦)
早朝の海、魚津水族館、富山中央植物園など
42:フォトキト「ステイホームに咲く」準グランプリ受賞
43:鞍月公民館の文化祭に参加「米寿の夏」「食べ頃どれかな?」
44:マンションのロビーに季節ごとに写真を展示 水族館、クリスマス、おとぎ話
45:ふるさと納税 泉佐野市の返礼品でレザーフォト5枚を注文し飾る
46:ミュゼふくおかカメラ館 ワンダーフォトコンテスト応募「水中宇宙」
47:富山城址公園フォトコンテスト 3枚応募
「浮かぶ願い」「収束への煌めき」「シンメトリーキャッスル」
48:環水公園フォトコンテスト応募「ステージ3の記憶」ほか
【作品制作】
49:短編小説「おおきな手のひら」9月執筆 未発表
50:短編小説「キミと太宰」11月執筆 未発表
51:短編小説「魂の恋人」12月執筆 未発表
52:短編エッセイ「土蔵で見つけたひいばあちゃん」公募
【展覧会・コンサート鑑賞】
53:イナガキヤスト×射水市 ♯控えめに言って最高です @クロスベイ新湊
54:マイフェアレディ21 かわいい朝顔と写真展 朝顔博士・中村いさむ
@セレネ(黒部市)
55:高崎勉写真展「いま君はどこにいるの」@ミュゼふくおかカメラ館
56:岩合光昭写真展「ねこづくし」@ミュゼふくおかカメラ館
57:ブルーインパルス写真展 立山モンタロウ @エール(滑川市)
58:野々市市市制施行10周年記念-中乃波木 読む写真展 い〜じ〜大波小波の世界-
@学びの杜ののいちカレード
59:オールドノリタケ×若林コレクション @石川県立美術館
60:Lam Live 「傘音色レコ発の巻」 @MUSIC BASE EXTREME
【印象に残った美味しい物たち】
61:ビストロヨシダ 母とランチ 美味しくて雰囲気が上品
62:パスタハウス ボルカノ 菜園バル店 ドレッシングの種類が豊富
63:フルーツサンドにハマる 「果々」「恋が愛に変わるとき」など
64:レストランオータニ カニクリームコロッケ定食
65:キャセロール マスタードソースのハンバーグステーキ
66:リトル上海 冷し豆乳担々麺
67:バターレバーバインミー(残念ながら閉店してしまいました)
68:ほの字 ハンバーグにフォアグラを載せて食べた
69:ねこのいる占いカフェnil ねこがひざに乗ってくる、フードも美味しい
70:ホテル日航金沢6階「弁慶」炉端焼スペシャルディナー(期間限定2万円)
フォトキト準グランプリ記念で母と
71:総曲輪ベース チーボ ヴェラ パスタ しらすのアンチョビオイルソース
ふらっと入ったお店だったがすごく美味しかった
72:とんかつぶんぷく金沢ベイ店 林豚リブロースロースかつ定食
73:おり~ぶ ランチの友とよく通った
74:一心 期間限定 白エビラーメンを何とか期間内に食べられた
75:金沢近江町市場内「市の蔵」 母とカニ忘年会
【仕事関係】
76:朝日町・笹川の水力発電企画に着手できた
77:ダイオウイカと寝たカットが30周年の番宣に使ってもらえた
78:SDGs企画を始動させた 年明け1月末のオンエアを目指す
79:自撮り棒を購入した 仕事でのスマホ撮影もスムーズに
80:スマートフィード(スマホでの動画を送るシステム)を使いこなせるようになった
【健康・ダイエット】
81:12月初旬 3日間断食がうまくいった
82:加圧トレーニング再開
83:富山市民プールに週2回通い始めた
84:スパ・アルプス(全国的にも有名な富山のサウナ)デビューをした
【そのほか】
85:福袋を6袋買った 服5種、鍋1種
(2022年は買わないつもりなので今年が最後)
86:いしかわ特別支援学校でコミュニケーションの講師をした
87:テレビでYouTubeが見られるようになった
88:朝日町「かがり火の夜桜」を初めて見た
89:取材での出会いがきっかけでイグアナが好きになった
90:新潮文庫の100冊 キュンタうちわを全4種類揃えた
浅井リョウさんの作品にハマり始めた「桐島、部活やめるってよ」「何者」など
91:新型コロナワクチンを2回打った
92:祖母の誕生日にガウチョ的なパンツを2本プレゼントした
93:妹にロイズのチョコレート約7000円分プレゼントした
この時期つまらないことで大ゲンカもしたが問題なし
94:仕事後に新湊方面へ夜ドライブに行った
95:スナイデルのワンピースを購入した ピンク、黒など
96:カネボウのミラノコレクションを予約購入した
97:マンションの音問題について1歩前進した
98:本音や何気ないことを話せる友人が新たに2人できた
99: 12月末、今後のことについてゆっくり考えるきっかけができた
100:よく笑い、心身ともに健康で過ごせた
白えびのお客様
ケーブルテレビが好きだ。地元の情報をぐりぐり掘り下げてくれる。
先週はラーメン・焼きそば特集を放送していた。何の気なしに見ていたのだが、その中のひとつ、「ラーメン一心」の白えびラーメンに釘付けになった。
一心というお店は、確かに人気のラーメン屋さんだ。いつも行列ができている。
昔、東京からのお客さんをランチにお連れしたら、彼らは翌日新幹線に乗る前に、もう一度食べ収めに行ったくらいである。
コク旨醤油、あっさり煮干し、越後の味噌、辛味噌、まぜそばがあるが、コク旨醤油が一番の人気だ。
さて、白えびラーメンだが、ケーブルテレビの映像を見て度肝を抜かれた。
スープにはもちろん大量の白えびが入れられ、煮込まれている。
それだけではない。香味油にもこれでもかというくらい白えびが使われていた。
スープと香味油の両方から白エビを感じられるなんて、とんでもないと思った。
観光客用に、普通のラーメンに白えびをちろちろっとトッピングした、という代物ではない。
白えびってまあまあ高価なものなのだけれど、惜しみない量を使っているのが画面からわかった。
12月中の期間限定と聞いて焦る。白えびがなくなったら、販売を終了するらしい。
白えびよ、まだいてください。私を待っていてください。
私はテレビを見た翌日、すぐに一心に向かった。
しかし、券売機の「白えびラーメン」ところだけに「申し訳ありません!スープ作りが追いついていません。夕方からは提供できます」と書いてある。
券売機のそばでは、女性の店員さんがてきぱきとお客さんの名前を聞いたり、席に案内したりしていた。名前を聞かれた私は「きょうは白えびラーメンが食べたかったんですぅ。また来ます」と言って店を出た。
夕方行こうかなとも思ったが、その夜は大寒波がくるということで、寄り道せずに帰ることにした。
翌朝、富山市の平野部で初の積雪となった。私は朝から雪取材に追われ、体も冷えていた。午前10時半ごろ、店に電話をしてみる。男性が出た。
「きょうのランチタイム、白えびラーメンあります?」「はい!ありますよ」
心が決まった。私は昼ニュースをチェックした後、再び徒歩で一心に向かった。
券売機に並んでいると、女性の店員さんから「あ、白えびの・・・」と言われる。
ぎゃあ。私が白えびラーメンを狙ってきたことがばれている。
思い当たることとすれば・・・
きのう「また来ます」と言った私の顔を覚えていたのだろう。
しかし常に7~8組待っている大繁盛店で、きのうちらっと来た私のことを覚えているのだろうか。マスクもしているし、きのうと服装も違うのに。
だとすればさっきの電話も、私からの電話と悟られている気がする。
男性(店主かな…?)が、「白えびラーメンの問い合わせがあった」と女性店員に伝え、彼女は「きのうのあの人だろう」と、私のことを思い浮かべたかもしれない。
「強烈に白えびラーメンを求めてやってきたお客様」と認識された私は、券売機で白えびラーメン980円の食券を買った後、小雪が舞う外のベンチで順番が呼ばれるのを待った。
名前が呼ばれ、カウンター席に案内される。
となりのお客さんは醤油ラーメンのようだ。
ラーメンの前に、「スダチ生姜」なる小皿が提供される。
「最後の方にスープに入れて味変を楽しんでください。さっぱりしますから」と言われる。
そしてお待ちかねの白えびラーメン。スープは透き通っていてとてもきれい。
が、一口飲んだ瞬間、口の中が白エビパラダイスになる。
エビ、エビ、エビ・・・。
こんなにおとなしい顔をしているスープに、甲殻類のうま味、香ばしさが溶け出している。ふわぁ・・・おいしい・・・!
麺は中太でつるっとした食感。上品な「和」の世界が広がっていくイメージ。
ここで第1の味変。
スープに浮かんでいるのは、味噌とえびの粉から作った「えび団子」である。
これをそろそろと溶かしてみる。
ふわぁ・・・。コクが深まる。
そして第2の味変。
「スダチ生姜」である。
これもそろそろと溶かしてみる。
ふわぁ・・・。確かにさわやか。
しかし白えびのスープがしっかりしているので、最後まで基本の味はぶれずに楽しめた。最後にまったく違う味になったら嫌だなと思ったけれど、白えびは負けなかった。
めったにないことだが、私はスープをすべて飲み干した。
女性店員さんが私に声をかけてきた。「いかがでした?」
「美味しかったです。スープ、飲み干しちゃいました」
私は、空になったどんぶりを得意げに見せた。
どんぶりの底には「ありがとう 一心」と書かれていた。
夕方の全国ニュースでは、私が自宅から徒歩通勤する様子が映し出されていた。
朝起きて思いついて、スマホで撮った映像だ。おお・・・。採用されている。
自撮り棒がないので、自撮りの顔がアップ過ぎて驚く。
スマホで見ていた時はこれでいいわと思っていたが、テレビ画面の半分が自分の顔に占められ「わぁ!私、デカイな!!」と驚く。近々自撮り棒を購入しようと心に誓う。
さて、あす19日(日)は、私の一番好きな番組M―1グランプリだ。
お笑い×人生変わる本気の戦い×生放送という、ドキドキなエッセンスが詰まっている。敗者復活戦からじっくりと見よう。
きょうも濃い一日だった。
白えびのお客様は、ベッドに入って1分後にかくっと眠りに落ちた。
大嫌いな姫女(ひめおんな)
その人のスーツの着こなしは別格である。
ファッションに明るくない私が見ても、一目で「イイモノ」だとわかる。
今は量販店のスーツもすごくモノがいいし、みなさんきれいに着こなしている。
が、やはり15万円クラスのブランド物は「やっぱり違うな」と思う仕立てである。
彼はそうしたクラスのスーツをいつもさらりと着こなしている。
「これくらいしか(ファッションくらいしか)楽しみがないので」と言いながら。
コーディネートされたシャツやネクタイを見ても、美しくてため息が出る。
「素敵ですね。いつも」
「中田さんの方が、華やかで、都会的。お姫様っぽい。」
「!!!!!!!!!!」
褒めの10倍返しである。
お姫様、お姫様、お姫様・・・
初めて言われた言葉を反芻して、私は膝から崩れ落ちそうになった。
思えば私の会社員人生は、それと対極にあったと言わざるを得ない。
どの年代でも、どの業界でも、「姫扱いされる女」というのは存在する。
みんながその子の言動に一喜一憂し、みんながその子の笑顔ほしさに媚びへつらい、みんながその子の機嫌をとろうと顔色をうかがう。
はっきり言おう。大嫌いなタイプだ。
そんな女たちは至る所にはびこっているのだが、その最たる例を見たことがある。
彼女は鬱だか何だかで、長期間会社を休んでいた。にも関わらず、その間に男性と旅行をしていた。SNSか何かでばれたらしい。
私からすればけしからん女なのだが、上司も、先輩も、友人も、みんな彼女には何も言えないようだった。そんな空気感だった。
ある会合で彼女を見たが、周りの女性が彼女のことを「姫」と呼んでいたのには驚いた。姫は、「姫」と呼ばれることに何の抵抗もない様子で酒を飲み、料理を食べ、その場で一番偉いかのように振る舞っていた。
ぐがーーーーー!
私は心の中でゴジラのように火を噴いた。
死んでも「姫」と呼ぶものかと思った。それが、病気だろうが鬱だろうが点滴を打って会社に出向き、誰にもやさしくされないまま仕事を続け、ここまでのし上がってきた私のプライドだ。何かあれば苗字にさんをつけて呼ぼうと思っていたが、存在自体に嫌悪感を抱き、言葉を交わすこともなかった。
こうした威圧感タイプの姫もいれば、周りが放っておかないふんわりタイプの姫もいる。
ふんわりタイプの姫は、自分が可愛がられていることをよーく分かっている。
キュートな容姿、抜けている言動、ひがみ根性がないので性格は割といい。
人が汗水たらして敷いたレールの上をきれいなヒールで歩き、うふふと笑うだけで褒められる。
ぐがーーーーー!!
もうキングキドラになるしかない。
まあ何にせよ、私は「姫」なんて呼ばれたことがない。姫扱いの経験も皆無だ。
先輩・上司からは苗字を呼び捨てにされ、後輩やスタッフからは「なかっさん」というドダサい呼ばれ方をしている。(※気に入っているのでこのままでいいのだが…)
「中田さん」を呼びやすくしたら「なかっさん」になる。当たり前のように受け入れていたが、誰がはじめにこう呼んだのだろう。まったくエレガントさがない。「姫」からは大きくかけ離れている。
気のおけない女友達と話すとき「なんか私の人生、うま味がないんだよね」と言うことが多かった。
「うま味ねぇ・・・」友達はあまりピンときていないようだった。
そう。私は長年「うま味がない」という表現をしてきたが、それはつまり姫扱いされず、私の顔色を気にする人もおらず、なんか人生損しているような気がする、ということを言いたかったのかもしれない。
そんな私が43年間生きてきて初めて「お姫様っぽい」と言われた。
「華やかで都会的」という枕詞付きである。
その相手が、15万円のスーツを着こなす物静かでクレバーな男性だった。
興奮と喜びからくる大量の鼻血出血により、倒れる一歩手前である。
泥水をすする思いで仕事をしてきてよかった。
理不尽に怒られ、雑に扱われ、姫女(ひめおんな)に心の中で火を噴きながらも、真面目に生きてきてよかった。
なかっさんは今、幸せだ。