人生最大体重
アゴが重い。いよいよ重い。
ダイエットというものから遠ざかって何年になるだろう。
「あの頃はよかった…」と、過去の自分を恨めしく思う。
母が「あんた今何kg?」と聞いてきた。
私は人生最大体重を告げた。
20代、30代の頃「その数字になったら終わりだよね」と言っていた体重を軽やかに超えていた。
「そうやろ。この前、あんたのタイトスカートの尻がぱっつんぱっつんやったし。顔もどぼんと重そうやし。あんた太るとまず顔につくしね」と母は言った。
妹は「アゴが重いって何?どういう状況!?」と聞いてきた。
文字通りだ。肉が顔について、二重アゴになり重いのだ。
面白おかしく書いているわけではなく、実感としてある。
放置するには限界の重さに来ていた。
私は「これから寒いし、外で走ったりもできんし…。私、ジムに行くことにするわ」と母に告げた。
「そうしまっし。あんた昔はガラス教室に通ったり、お花教室に通ったりしとったけど、そのお金と時間を体作りに充てたらいいわ」と、返された。
先日、スナイデルというブランドのワンピースを試着した。
グリーンのワンピは襟が大きくこじゃれたデザインだった。何とか入ったけれど、着こなせなかった。
試着室の前で母が言った言葉を思い出す。
「このワンピ、入るだけでもすごいと思うよ。私みたいに腹が出たら、もう着ることすらできんのよ。あんたは痩せたら着こなせる。今、このワンピを着こなす体になるか、どんどんウエストラインがなくなって入らない体になるか。分かれ道やわ」
着こなすか、あきらめるかの瀬戸際-
ちょっと古いが林修先生の「いつやるの?今でしょ」という言葉が頭の中でこだまする。
会社でカメラマンのM氏に「富山でいいジムないかね?24時間のところなら仕事が遅くなっても行けるかな?」と聞いてみる。
するとM氏から、思いもかけない言葉が返っていた。
「断食から始めたらどうですか?」
えっ?断食!?
私は「いいジムがあるか?」と問うたのだ。それなのに断食!?
「断食で体を軽くしてからジムに行った方が、効率がいいんじゃないですか?」
ほう・・・。とんでもない角度のアドバイスがきたものだ。
しかし私は案外すんなり、断食案に乗ってみようと思えた。
実は2014年、2015年ごろ、断食がうまくいった経験があるのだ。
海外旅行で水着を着なくてはーと思い、頑張ったら割とスムーズに結果が表れたことを思い出す。
私は12月1日から、本格的に断食から取り組むことにした。つづく
トンネルと牡蠣とシングルベッド
旅の2日目。この日は2大ミッションがあった。
トンネルに貯蔵している日本酒を取り出しに行くこと。
もうひとつは牡蠣バーベキューだ。
珠洲市の酒蔵「宗玄」では2005年に廃線になった、のと鉄道のトンネルを買い取り、日本酒の熟成庫「隧道蔵(ずいどうぐら)」として使用している。
トンネル内は年間を通して12℃前後に保たれていて、品質を劣化させる光が差し込むこともない。まさに自然のワインセラー(日本酒セラー)のような場所なのだ。
彼は2017年に、宗玄で7本の日本酒を購入。
管理料を払い、トンネル(隧道蔵)に入れていた。
この度、熟成された日本酒を取り出しに行きたいという。
トンネル貯蔵庫。
こんな場所、なかなか見学できるものではない。
てくてく、てくてく。探検気分。
てくてく、てくてく。どんどん進もう。
彼は4年ぶりに購入したお酒に会えて嬉しそうだった。
「同じ銘柄でも、タンクで貯蔵した酒とトンネルで貯蔵した酒では味が変わります」と、お店の人が言っていた。
帰りに恋路駅周辺を散策した。こちらも廃線になった、のと鉄道跡地を観光地化したスポットだ。
日本海側の厳しい冬を前に、暖かい日だった。海が青い。空が青い。
別荘に帰ったら牡蠣バーベキューだと思うとすごくうれしい。
午後1時。
一斗缶の半分の大きさ、半斗缶に入った牡蠣を別荘の管理施設に取りに行く。
彼はその間に火おこしをしてくれていた。
今シーズン初の牡蠣にテンションが上がる。地元の「能登かき」だ。
大きな粒。最初の一口。うましー!!
半斗缶には、まだたくさん牡蠣が詰まっている。
食べても食べても、牡蠣があるという幸せ。
何なら「食べきれるのか?」という、幸せな不安。
途中、「何個食べたか数えとくんだった~!」と思うが、殻はごみ箱に捨ててしまっていて後の祭り。
バーベキューの火が弱まってきたため、残りはフライパンで蒸して食べた。
ガーリックバターソースなどで味変しながら、牡蠣の夕べが過ぎていく。
1人25個くらい食べたのではなかろうか。
おもむろに彼が、「ちょっと大変なことになってきた」と言う。
「何?一体何?どうしたの!?」嫌な予感がよぎる。
「さっきトンネルから出したばかりの750ml瓶が空っぽになりそうなんだ」
「・・・・・」想定の範囲内である。
23:00ごろ、そろそろ寝ようかとベッドの部屋に行く。
彼がいない。風呂かトイレにでも行ったかな、と油断していると「ばあ!」と布団の中から顔を出した。
私はまあまあびっくりして、持っていたマグカップのお湯を床にこぼした。
完全に浮かれている。きのう私が使ったベッドに入っている。
「どうするつもり?」
「どうするもこうするも、動く気はないよ」
「・・・・・」
広々とした別荘には、寝室だけで4部屋もあった。
ベッドも布団もあり余るほどあった。
しかし酔っぱらいは寂しがり屋のようだ。
私たちはシングルベッドに身を寄せ、「せまぜま」した空間で眠りについた。
旅行が怖い・・・
旅行が少し怖い。はっきり言えばちょっと苦手だ。
「いつもの」感じで過ごせない。
私は昔から「願わくば家でいつも通り過ごしたい」という気持ちで生きてきた。
いつもの道具がいつもの場所にある環境が好きだ。
出かける直前まで洋服選びができる気楽さが好きだ。
旅先に「いつもの」がないことが不安だ。
「寒いのか暑いのか分からないから、服を多めに持って行かなきゃ」
「これも必要になるんじゃないか?あれも必要になるんじゃないか?」
「これだけ詰めたけど、忘れ物はないだろうか」などと思いを巡らせ、荷物でパンパンになってしまう。
さらに家に残しておくものたちも不安だ。熱帯魚、観葉植物、その他大切な荷物たちにしばらく会えないとなると、それもそれで心配なのだ。
こうした性格ゆえ、私は修学旅行などが苦手だったし、家族旅行も好きではなかった。
出張も気が重い。
会社にちんといて、編集でもして、いつもの家に帰る生活が一番落ち着くのだ。
こうして書いていると、私は旅に対してポジティブな気持ちがないことに改めて気付かされる。それゆえ、私は自発的に旅を企画しない。
母や彼や友人たちが「行こうよ」と誘ってきたら「そうかい。行くかね…」と、乗るスタイルである。
この秋、彼がお得で楽しい旅を企画してくれた。
私は遠すぎる場所は運転も不安なので、奥能登は避けたいと伝えていた。
「ぎりぎり中能登ならなんとか行けるかもしれない」というと、彼は石川県志賀町の別荘を予約し、焼き牡蠣セットも注文してくれていた。庭で牡蠣バーベキューを楽しもうということらしい。
別荘のため自分たちで調理もできるらしく、私は油、レモン汁、バスタオル係に。彼はしょうゆや塩など調味料係になった。
初めての場所。初めて運転する道。私は2週間くらい前からどきどきしていた。
旅の前日、どきどきが止まらないため「わたし、慣れない土地だとちょこっとどきどきするから、寄り添って、助けてください」と彼にラインする。
返信は、パンダがイモを持って踊っている陽気なスタンプだった。
彼は金沢から。私は富山から向かい、現地集合となる。富山から氷見を通って石川に抜ける初めてのコース。どきどきしながら車を走らせる。天気も良く、思いのほか気持ちよかった。氷見から石川に向かうと、神子原米の里、羽咋に出るのか…。ある意味、こうして強制的にレールを敷いてもらうことで、私は人並みに生きていくテクニックを身に着けているのかもしれない。
親しい友人や恋人がいないと、私は確実にひきこもり生活一直線なのだ。
行先は志賀町のハートランドヒルズ能登。風見鶏の家、メルヘンの家、天空の家、池のほとりの家、キャンプスタイルの家など様々な別荘が点在し、かなり迷ってしまった。
ようやく私たちが泊まる「吹き抜けのある家」に到着。広い、広い、部屋数も多い。
卓球台などもあり、昭和の良き時代に造られた建物という感じがする。
私の方が先に着いた。石油ストーブをつけ部屋を温める。
今夜は地元のスーパーで買ったものを適当に食べようということになっていた。
彼は「バケットがあるといいな」と言っていたので、バケットにチーズ、サラダ、肉などの買い出しに出かける。
18:00ごろ彼が到着。せっかくある卓球台で30分ほど遊ぶことにした。室内なので、お互い靴下で卓球をする。こんなに楽しい時間なのに、私は滑って転んで卓球台の角に頭をぶつけるんじゃないかとまた不安になる。
「滑らないでね」「転ばないでね」「頭打ち付けないでね」などと注意を促しながらラリーを続ける。「大丈夫、大丈夫!余裕~♪」と軽く返される。
18:30。部分月食を見に外に出る。志賀町の夜は暗い。街灯などもほとんどない。真っ暗な環境の中、澄んだ空で月が徐々に欠けていく。
きれいだねぇ・・・すごいねぇ・・・と言いながら「こんな真っ暗だから、万が一車が通ったら大変だ。車は私たちに気付かないよ。車に轢かれないようにせんとね」と、またまた注意喚起を促してしまう。
いつもいつもこんな調子なので、彼も慣れた様子だ。特に気に留めることもなく、マイペースに月の観察をしていた。
卓球台に頭をぶつけることなく、暗闇で車に轢かれることもなく、無事に別荘に戻る。
夕食の前に温泉に入る。別荘のお風呂が温泉なのだ。熱いお湯を足しながら、心配で凝り固まった体をほぐしていく。
夕食は彼がガーリックバターソースなる魅力的な調味料を持参してくれていたので、それを焼いたバケットにつけて食べる。だからバケットが必要だったのかー。あまりに美味しくて、どんどんパンを焼いた。
いっぱいいっぱい心配もしたけれど、楽しい。
旅の1日目の夜がゆっくり平和に過ぎていく―。
リポートの引き算
「きょう台湾まぜそば食べに行かんけ?」と母を誘う。
「いいね。何時に?」すぐに返事が来た。
なぜいきなり、台湾まぜそばなのか?
何を隠そう、過去の自分の食レポを見て、食べたくなったのである。
めでたい。我ながら、めでたすぎる。
正直に母に話してみる。
「私がさ、でかい顔して、汗だくになって麺をすすっとるんよ。化粧も流れ落ちてかなりヤバいんやけど、うまそうには見えるんよ。『まぜそば歴20年ですが、初めて出会う味です。異国情緒溢れる味ですね』とかなんとか、そそること言っててさ。それで自分で食べたくなったんよ」と。
「あんた幸せやね。自分の食リポ見て食べたくなったなんて。こんな図々しいこと誰にも言えんね。親にしか言えんやろ」と、母が言う。
確かに。会話では言えないが、こうして書いてしまうので一緒なことだ。
母は「あんたの顔がでかいことなんて、あんまりわからんよ。隣に人がおれば一目瞭然やけど、あんたがテレビに出るときは、たいていワンショットやしね」と、励ましでも何でもない失礼なことを、悪気もなくさらりと言う。
母といると、二人で好き勝手なことを言いながら時間が過ぎていく。
さて、なぜ過去のVTRを見たかと言うと、尊敬するMアナにあることを指摘されたからだ。
「あなたのリポートは、コメントもよく考えられてるし目立つ。だからこそ、その強いリポートを立てるために、引き算できるところは引き算した方がいいと思う。強い+強い+強いだと逆に強いところが立たなくて、圧を感じるんだよね。ぐいぐい来すぎるというかさ。弱いところがあるから強さが引き立つ。オフコメにするところはした方が、よりリポート部分が立つと思うよ」と。
Mアナの言い方は賢くやさしい。「リポート多すぎてしつこいよ」と言われたら、「はん!?それが私の個性ですし!だいたい私のコーナーで視聴率落としたことありますかね!?」と、挑戦的な態度をとってしまいそうだが、「せっかくの強いリポートを立たせるために引き算を」と言われると悪い気がしない。
こういう指摘って、される側よりする側の方が10倍神経を使うだろうと思う。Mアナも言いにくそうではあった。でも私のことを、番組のことを思って、言いにくいことを言ってくださったんだと思った。私の癖を知り尽くした人の言葉だった。私は3秒後に「わかりました。引き算します」と素直に返事をした。
VTRは「リポート」と「オフコメ」で作られている。
リポートは現場で話す言葉。オフコメはスタジオでアナウンサーが読む部分。
そうやってニュースや企画を見ると、「今リポートだ、今オフコメだ・・・」「このVTRはオフコメが多いな」など、ちょっとツウな見方ができるかもしれない。
私が作るVTRは、ほかのディレクターに比べてリポート部分が圧倒的に多い。自分で下調べから編集までするので、多くのことを現場で言い切ってくる。
改めて見直すと多いかなぁとも思うが、その圧に負けて台湾まぞせばを食べに行った自分もいるので、何が正しいかは何とも言えない。
次の特集は太宰治がテーマだ。Mアナの忠告を肝に銘じ、私は使おうと思っていたリポートを5つ落とした。「リポートを活かすために、リポートを減らす」
そう思うと、苦労して撮ったシーンもためらいなくカットできた。
確かに、引き算してちょうどいいくらいの「圧」だった。
私にしては「圧」少な目のVTRですが、きっと「今一度、太宰治を読んでみたい」「企画展を見に行きたい」と思ってもらえるハズです・・。
12月3日(金)15:42~放送
北陸朝日放送 ゆうどきLive
『富山で太宰治の世界に浸る』
ネギ泥棒に告ぐ。
野菜をもらいに実家に寄った。今の季節は特にネギが美味しいらしい。
土がついたネギを新聞紙に包んでいると、祖母が「そういえば、お父さんがネギ泥棒の看板を立てとったよ」という。
えっ?ネギ泥棒の看板!?何のことだ??
見る前からネタの匂いがする。
「どこどこ?」
「うちの裏の畑や。長靴履いて見てくるまっし」
「うん!」
私はすぐさま家の裏にまわり、父が立てたという看板を見に行った。
そして一目見た瞬間、あまりの衝撃に畑の真ん中で大爆笑をぶちかました。
「何やこれーーー!!!」
「ネギ泥棒に告ぐ。今回で3度目。警察へ通報済み。再度盗み犯すな。(家庭菜園耕作者)」
最初は「ネギ泥棒へ」と書いてあるのだが、わざわざ2本の横棒で消して「ネギ泥棒に告ぐ。」と、書き直しているところにも父のこだわりを感じる。書き直しの跡はそのまま看板に残されている。
「再度盗み犯すな」という警告文も、かなりパンチがある。
「家庭菜園耕作者」という署名もなかなかのセンスだ。普通はこんなとき何と署名するんだろう。もはや正解すらわからない。
私は父に「なぜ『告ぐ。』に直したのか?」と問うてみた。
だいたい想像はつくのだが、本人の口から聞いてみたい。
「おう。『へ』やと優しすぎるやろ。泥棒様に手紙でも書いとるみたいでおかしいやろ。込み上げる怒りを伝えんなん。ほんで「告ぐ。」にしたんや。命令形にしたんや」
最近、太宰治の企画展を見たのだが、そこには太宰が大きくバツをつけた直筆原稿や、書き直しの跡が見られる原稿があった。それらは太宰の創作の舞台裏に迫る超貴重資料として、展示室のガラスケースに展示されていた。そうして多くの市民が「ほほぉ~」とありがたくそれらの原稿を見ていた。
もし父が名だたる作家だったら・・・。
私は娘として、この手書き看板を資料館に寄贈しただろう。
キャプションは『ネギ泥棒宛ての手書き看板』
「邦夫(父の名)が相次ぐネギ泥棒に怒りを示した看板。自宅裏の畑に設置。
「へ」が「告ぐ。」に書き換えられており、邦夫氏の込み上げる怒りが伝わってくる。
2021年 長女・絢子氏より寄贈」でいかがだろうか?
私はあまりにおかしく、親しい人たちに写真を送った。
「すごい看板だったねー。文字に怒りが感じられる」
「畑も広いねぇ。泥棒はいかんよ それは告ぐわ」
「父上の大切な畑に、それはいけないでしょう(笑いを必死に隠しつつ)」
多種多様な返信が届くのだが、共通しているのは、みんなネギ泥棒ではなく看板を立てた父に興味がいっていることだ。
私もその一人だ。
泥棒のプロファイリングはそこそこに、父という人間について思いを馳せる。
そうして「私には確実にこの人の血が流れているんだよなぁ」と、何とも言えない気持ちになる。
世間体など全く気にしない言動。自分の意のまま、勢いのままに走り出す性格。
今まで色んなものを禁止する看板を世間で見てきた。
「立入禁止」「駐車禁止」「携帯電話使用禁止」「録音・録画禁止」「ソースの二度漬け禁止」
それらの看板を見るたびに、「禁止されていることはしないでおこう」と心して生きてきたが、これほどまでに釘付けになった恐ろしい看板はない。
「絶対に盗みを犯してはいけないのだ」という観念が、体に、脳に、刷り込まれる。
何かの拍子でうっかりネギを抜いてしまった日には、即刻、地獄行きであろう。
きょうの夕食はネギにしよう。
私は「家庭菜園耕作者」から正しい手順でもらったネギを、どんな料理にして食べようか思案している。
「頭をグツグツにしています」
衆院選期間中、まわりの記者たちは選挙取材に忙しそうだった。
新聞記者は一面や政治面の細かい取材構成に追われ、午前様になっているようだった。テレビ記者は「緊張する」と言いながら、普段見せる顔とはちょっと違うクレバーな雰囲気で記者解説をしていた。
「3時間しか寝てないのに眠くない。アドレナリンが出ているんだと思う」と、言っている人もいた。やるべきことに追われ心身共につらそうなのだが、はたから見るとものすごくまぶしい。
その間私は何をしていたかというと…太宰治のことを考えていた。
「お忙しいですか?」と聞かれ、「ええ。太宰治の構成で頭をグツグツにしています」と返信した。
「頭をグツグツにする」
何気なく書いたのだが、鬼気迫るものがあったのかもしれない。
「それは大変。集中しているところにごめんね。」と謝られてしまった。
今年に入ってから妙に、太宰治のことが気になり始めていた。
恋人と太宰作品のDVDを観たり、「この夏しか手に入らない!限定プレミアムカバー2021」とのうたい文句に惹かれ、もう持っているくせに真っ黒な装丁の人間失格を購入してみたり、ちょっと物憂げな人を見ると「太宰に似てますね」と口にしてみたり。
ダザイストと呼べるほど読書量もないくせに、雰囲気で「太宰、太宰…」と口にすることが増えていた。実際読もうとすると「いる」が「ゐる」、「ようである」が「やうである」など、昔ながらの仮名遣いに拒絶反応を起こし、断念したこともあったくせに。
そんな折、富山市内にある高志の国文学館で「太宰治 創作の舞台裏 展」なる企画展が開催されることを知った。縁もゆかりもない北陸の地で開催されること自体が貴重だと感じ、「これは縁だ。特集を組もう」と企んでいた。
普通に客として訪れると、表面だけをなぞり何となく分かった気になって終わってしまう。が、自ら特集を組もうと決意すると、必要に迫られて勉強量が格段に増える。ある程度自分が理解したうえで、視聴者に伝わるように番組に落とし込む。そのためには勉強しかないのだ。
膨大な資料の中からどの資料をピックアップしようか、学芸員にどんなインタビューをぶつけようか、リポートで何を語るべきか。
ロケに行く前の「予定稿作り」が1番頭を使うかもしれない。
色々調べ物をしては原稿を書いていると、「人間失格」は太宰が自殺した後に、第二の手記、第三の手記が連載され、単行本化されたことを知る。
あんなすごい作品を書いたなら、世の中の反応が見たいとは思わなかったのだろうかー。
グツグツ グツグツ 頭が沸騰しそうになる しかし
グツグツ グツグツ そうなっているのは私だけではないだろう
グツグツ グツグツ 政治記者も忙しそうだ
グツグツ グツグツ 候補者本人も必死そうだ
選挙も終わり、秋風が冷たくなってきた。
文化の日のきょう窓から差し込む光がまぶしくて、私はカメラマンに「ブラインド下ろしたら?」と言った。
私の特集の撮り方は、記者やテレビディレクターとしては独特な方だと思う。
映画のように1カットずつ頭の中に思い描く。
その頭の中の設計図を、カメラマンにレクチャーする。
頭をぐつぐつにして考えた案を、カメラマンに半分背負わせるのだ。
きょうはそんな作業をして帰途についた。
私が1カメショーで撮ろうと思っていたところを、カメラマンが3カットに割ると提案してくれたこともうれしかった。実際、テストしてみるとその方がかっこよかった。
仕事帰りに薬局に行き、メイク落としと歯間ブラシを買う。
非日常と日常を行ったり来たり。
昭和と令和を行ったり来たり。
太宰と自分を行ったり来たり。
生涯に4度も自殺未遂を繰り返し、5度目の心中で帰らぬ人となった太宰治。
一緒に玉川上水に飛び込んだ山崎富栄の遺書を見て泣きそうになる。
「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません。」
仕方なく生きていた
「私この頃、仕方なく生きていたんだわ」
古いアルバムを見ながら私が何気なく放った一言が、母と妹の間で物議を呼んでいる。
あるエッセイコンクールに応募してみようと、私は家族の過去について母に取材をしていた。妹もそれに乗っかり、古い写真を送ってくれた。2人の協力を得ながら、私はエッセイを書き進めていた。
過去の写真。23で私を産んだ母は若く、女優のように美しかった。着ているものもおしゃれだ。言い過ぎかもしれないが、長谷川京子に見える写真もある。子ども(私)と一緒に写っているのに、母に目が行ってしまう。
妹もかわいい洋服を着せられポーズを決めたり、ペンギンの水着を着てバンザイをしたりとイキイキしている。それに比べ、私はつまらなそうに、まさに仕方なく写真に収まっている。
「うん。私このころ、仕方なく生きていた」
母は「えっ!?大人になってからならともかく、幼児がそんなこと思うの?幼児なのに!?」と、今更ながら驚いていた。
そう。幼児でもしっかりと魂がある。
あのころしぶしぶ生きていた気持ちを、私ははっきりと思い出す。
なんというか・・・自分の顔が嫌いだったのだ。
昭和丸出しのこけし顔。こんな自分がかわいい服を着せられようが、お遊戯をしようが、お歌を歌おうが、全然かわいくないことを自覚していたのだ。
実際に私は自宅の鏡の前で、自分の顔をビンタしていたという。
「きらい、きらい。あやちゃん、このお顔きらい」と言いながら。
自分の顔を叩きつける幼児。自分の過去ながら、闇の深さを慮る。
「変わり者だから心配だった。困ったもんだと思っていた」と、母は当時を振り返る。
複数の証言をとりたいと、私は祖母にも電話取材をかけた。
「私、小さいころ自分の顔が嫌いやったんやけど、知っとる?」と。祖母は即答した。
「ほうや!自分の顔が嫌いや言うて、鼻つまんだり、顔叩いとったんなかったかな~。『ほんなことない。かわいいぞ』と言うても、そんなん聞かん。自分で可愛くないと思いこんどるさけ」という。
今思えば、我ながら面白いエピソードだ。
でも自分の顔が嫌いだなぁと思いながら生きる幼児時代は、なんかどうしようもない時間だった。
保育園に行くと、あんな顔に生まれたかったなぁと思う子がいた。
西洋風な顔つきで、何をしても可愛かった。
その中の一人えっちゃんは「ちょっと待って」などと言うときに「ちょん待って」というのが口癖だった。「ちょっと」を「ちょん」と言い換える可愛さ。
私はその言葉遣いにさえ猛烈に憧れ、家に帰ってから「ちょっと食べたい」を「ちょん食べたい」「ちょっと痛い」を「ちょん痛い」などと言ってみた。
すると「ちょんって何!?さっきからちょん、ちょん、ちょん、ちょんって!そんな言葉はありません。ちょっとでしょ。ちょっと」と、当時は怖かった母に叱られしゅんとした。
私には「ちょん」という資格さえないのだ。
こんな顔だから。昭和のこけし顔だから―。
幼いながら、自分が可愛いと自覚している女の子っている。
実際、姪っ子もキュートだ。幼いながら女子であることを十分に認識し、ファッションにもこだわりがある。
水玉エプロンに大きなリボンをつけてもらい、ポーズをとってぶりぶりと生きている。
可愛いなぁと思いながら、心の奥底で「ふんっ!」と思う気持ちも拭い去れない。
こけしの嫉妬心は深い。